〇道行き(1999年06月24日)
「阪神は近松(門左衛門)と似ている」。かつて詩人、佐々木幹郎さんがそう語っていた。近松の「心中天網島」にしても、男と女が「道行き」をするとき、そこには美学も道理もない。降りかかる不幸に対し、身悶(みもだ)えする生き物として人間を生き生きと描いている。つまり阪神は「美も、道理もない」身悶えする存在というのである。
佐々木さんによると、近松の世話物のキーワードは「道楽」という。もともと悟りの楽しみという仏教用語だが、品行が悪いとのニュアンスもある。しかし関西ではそんな「道楽」に寛容だ。周囲からさげすまれ、軽んじられながら、なおかつ努力し、けなげな姿で落ちていく近松の主人公たちの「道楽」の境地。それは、勝負よりもいかに楽しむか、と諦念(ていねん)を知る阪神ファンの心情ともつながってくる。
ところで、野村阪神はいま、虎(とら)の子の貯金を使い果たし、ピンチに立たされている。「ID野球」という「道理」を持ちこんだものの、なかなか通じない長年の「道楽」気質。それに加えて妻沙知代さんを取り巻く猛烈な嵐(あらし)。野村監督は自らの宿命を見つめ、苦悶(くもん)しているのかもしれない。
今年のプロ野球は、野村阪神の「道行き」の舞台と見れば、ひときわ味わい深い。野村監督はまさに、近松の世界を生きている。