〇遠い歌声(1999年06月03日)
「やがてくる日に 歴史が正しく書かれる やがてくる日に 私たちは正しい道を進んだといわれよう……」
1960年の「三井三池争議」を描いた音楽劇「がんばろう」(岡部耕大作・演出、東京・紀伊国屋ホールで8日まで)を見て、遠い記憶の底から一編の詩が聞こえてきた。「総資本対総労働の闘い」といわれたその争議の終結時、労組のビラに書かれた詩だ。小学校6年生だった私には、目前で繰り広げられた市街戦さながらの争議の複雑さが分かろうはずはないが、そのフレーズだけは脳裏に刻まれていた。
舞台を通して幼いころの光景が幻のようによみがえった。炭住街の共同浴場で汗を流す時の笑顔、運動会の地域対抗リレーでの元気な走りっぷり……。「私たちの肩は労働でよじれ 指は貧乏で節くれだっていたが そのまなざしはまっすぐで美しかったといわれよう」とその詩にあるが、炭鉱マンは家族のために懸命に生きていた。
その三池炭鉱が閉山して2年余。やっと「歴史劇」にできるだけの歳月が流れたということなのか。そんな感慨に浸りながらも、「連帯」という忘れ物を届けられたような気分だ。今もリストラの嵐(あらし)が吹くが、「家族ぐるみ」という言葉は死語と化し、男たちは孤独な闘いを強いられている。社会はずいぶんと淡泊になった。【池田知隆】
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