1997年2月26日水曜日

〇律義(1997年02月26日)

 〇律義(1997年02月26日) 


 「マルセル!」と声をかけると、まず「はい、そうです」と返ってくる。インドネシアの日本語ガイド、マルセルさん(32)の、その「はい、そうです」には不思議な魅力がある。あなたと向き合っていますよ、との意味を含み、それから笑顔で懸命に説明を始める。

 黒い肌に縮れ毛の彼はフローレス島出身で、敬けんなカトリック信者だ。独習した日本語だけでなく、日本人の機微にも通じている。このほどマルク諸島の先住民族を訪ねた旅で1年ぶりに再会し、ますます人柄に魅せられた。

 インドネシアを約30回も訪れ、今回の案内役の桃山学院大学教授、沖浦和光さんに彼は私淑し、昨夏に生まれた最初の子に「オキウラ」と名付けた。沖浦さんがフランシスコ・ザビエルをめぐる東西交流史を研究中と知ってか、その子の洗礼名は「ザビエル」。かくて「ザビエル・オキウラ」がアジア交流の確かな芽として育っている。

 「はい、そうです」は単なる口ぐせです、と彼は照れる。だが、そこには相手と丁寧に向き合う律義さがある。そう感じるのは、その種の律義さが日本で薄れつつあるからかもしれない。マルセルさんと別れたばかりなのに、もう懐かしくなった。


1997年2月5日水曜日

〇遠い声(1997年02月05日)

 〇遠い声(1997年02月05日) 


 「やがてくる日に 歴史が正しく書かれる やがてくる日に 私たちは正しい道を進んだといわれよう……」          

 遠い記憶のやみの底から1編の詩が聞こえてきた。1960年9月、「総資本対総労働の闘い」といわれた三井三池争議が終結した際、労働組合のビラに書かれた詩だ。小学校6年生だったぼくに、衝突、流血、殺人と市街戦さながら目前で繰り広げられる争議の複雑さがわかるはずはない。ただそのフレーズだけが脳裏に刻まれていた。

 その三池炭鉱が来月末に閉山する。閉山交渉を伝える小さな記事を読むたびに、幻のように郷里の光景がよみがえる。炭住街の共同浴場で汗を流す時の笑顔、運動会の地域対抗リレーでの元気な走りっぷり……。「私たちの肩は労働でよじれ 指は貧乏で節くれだっていたが そのまなざしはまっすぐで美しかったといわれよう」とその詩にあるが、炭鉱マンは家族の暮らしのために懸命に生きていた。

 「民衆の闘いは、“水俣”だけじゃなか。三池の記録は少ないし、いっしょにまとめようか」。独り暮らしの母を亡くし、九州に帰郷していた友人にそう誘われ、まるで「忘れもの」を届けられたようだった。