2002年10月19日土曜日

西論風発:総合学習 学校システムこそ 改革を

  

〇掲載年月日 2002年10月19日 

  

〇掲載年月日 2002年10月19日 

西論風発:総合学習 学校システムこそ 改革を=池田知隆・論説委員 

  

  いつしか「ゆとり教育」は教育荒廃の元凶にされ、子供たちの学力低下をめぐって親たちの不安が高まっている。だが、旧来の教育内容に戻すことで、学力を回復できるのか。

 <総合学習で、中途半端な疑似体験をさせるよりも、読み、書き、計算の学習力をつける方がはるかに有用である。>

 13日の「西論風発」欄でそんな指摘があった。といって、総合学習をあっさりと切り捨てていいのだろうか。否である。学力低下の背景には、大人を含めた深刻な「活字離れ」や、享楽的な消費社会下の「学びからの逃避」の問題がある。

 学校5日制、教育内容の削減による学力低下の声に、文部科学省は「ゆとりは“ゆるみ”ではない」「指導要領は最低限の基準」と説明し、もっぱら「確かな学力」「学力の向上」を強調している。基礎力の徹底が大切なことは論をまたない。だが、その基礎力の上で創造力や学習意欲の育成もまた欠かせない。

 文科省の肩をもつ気はないが、今、あらゆる価値が相対化し、誰もが自分なりの生き方を模索しなければならない不透明な社会であることは確かだ。その中で生きぬくために、表現力や思考力などの「新しい学力」は必然的な課題になっている。

 総合学習は、自ら課題を見つけ、解決していく力をつけるために設けられた。図書館を活用して「調べる」学習をしたり、地域の人材を生かした映画製作や演劇、自然観察などの多彩な授業や職場体験、人間関係づくりなどが行われている。

 だが、教師にとっても慣れないことばかりだ。総合学習の理想はいいが、現実は思ったとおりにはいかない。その成果はすぐに表れない。テストもできないから子供が何を得たのかも見えづらい。まして高校入試にも大学入試にも出題されない。

 多くの親たちは、いい学校に進学できる学力をつけてほしいと願っている。総合学習という遊びの時間も、土曜日の休みもいらない。それだから公立校は私立校に負けるのだ、と親が思うのも理解できる。同時に、知識量だけでなく、問題解決能力などがないと社会を生きれないことも親は分かっている。

 問題は、総合学習にあるのではない。明治以来、人材の選別機能を果たしてきた学校・教育システムにある。それを見直さない限り、総合学習は宙に浮いてしまいかねない。私学助成と公立支援のあり方や、大学教育を含めた大幅な改革を考えていくべきだろう。新しい酒(学習指導要領)には新しい皮袋(学校システム)が必要だ。=池田知隆・論説委員 

  

  いつしか「ゆとり教育」は教育荒廃の元凶にされ、子供たちの学力低下をめぐって親たちの不安が高まっている。だが、旧来の教育内容に戻すことで、学力を回復できるのか。

 <総合学習で、中途半端な疑似体験をさせるよりも、読み、書き、計算の学習力をつける方がはるかに有用である。>

 13日の「西論風発」欄でそんな指摘があった。といって、総合学習をあっさりと切り捨てていいのだろうか。否である。学力低下の背景には、大人を含めた深刻な「活字離れ」や、享楽的な消費社会下の「学びからの逃避」の問題がある。

 学校5日制、教育内容の削減による学力低下の声に、文部科学省は「ゆとりは“ゆるみ”ではない」「指導要領は最低限の基準」と説明し、もっぱら「確かな学力」「学力の向上」を強調している。基礎力の徹底が大切なことは論をまたない。だが、その基礎力の上で創造力や学習意欲の育成もまた欠かせない。

 文科省の肩をもつ気はないが、今、あらゆる価値が相対化し、誰もが自分なりの生き方を模索しなければならない不透明な社会であることは確かだ。その中で生きぬくために、表現力や思考力などの「新しい学力」は必然的な課題になっている。

 総合学習は、自ら課題を見つけ、解決していく力をつけるために設けられた。図書館を活用して「調べる」学習をしたり、地域の人材を生かした映画製作や演劇、自然観察などの多彩な授業や職場体験、人間関係づくりなどが行われている。

 だが、教師にとっても慣れないことばかりだ。総合学習の理想はいいが、現実は思ったとおりにはいかない。その成果はすぐに表れない。テストもできないから子供が何を得たのかも見えづらい。まして高校入試にも大学入試にも出題されない。

 多くの親たちは、いい学校に進学できる学力をつけてほしいと願っている。総合学習という遊びの時間も、土曜日の休みもいらない。それだから公立校は私立校に負けるのだ、と親が思うのも理解できる。同時に、知識量だけでなく、問題解決能力などがないと社会を生きれないことも親は分かっている。

 問題は、総合学習にあるのではない。明治以来、人材の選別機能を果たしてきた学校・教育システムにある。それを見直さない限り、総合学習は宙に浮いてしまいかねない。私学助成と公立支援のあり方や、大学教育を含めた大幅な改革を考えていくべきだろう。新しい酒(学習指導要領)には新しい皮袋(学校システム)が必要だ。

2002年10月12日土曜日

西論風発:国立国会図書館関西館 世界への“知的発信拠点”に

  

〇掲載年月日 2002年10月12日 

 西論風発:国立国会図書館関西館 世界への“知的発信拠点”に=池田知隆・論説委員 

  

  「真理がわれらを自由にする」。国立国会図書館法の前文でうたわれている精神だ。その確信に立って、「憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される」とある。

 国立国会図書館関西館(京都府精華町)が7日開館した。インターネットが普及し、今では「どこでも、いつでも、だれでも」アクセスできる巨大な情報空間が出現した。電子図書館機能を飛躍的に高めた関西館を通して、世界平和に寄与する大図書館の使命を再認識しよう。

 国立国会図書館は1948年に創設された。新憲法下の代議制を支える「国会図書館」として構想され、国民全体に図書や資料を保存、提供する「国立図書館」の要素が加わった。

 今後、東京本館が「議会図書館」として、関西館が「中央電子図書館」としての役割に特化する。来年1月からは各家庭のパソコンからアクセスし、資料のコピーをオンラインで請求できる(利用者登録制)が始まり、その「遠隔利用サービス」も関西館が一手に引き受ける。

 関西館の収蔵能力は約600万冊(第1期分)だが、将来は約2000万冊まで拡大でき、東京本館(約1200万冊)を上回る。アメリカの議会図書館がつくる「アメリカの記憶」コレクションでは映像、音、写真などの徹底した資料の蓄積を図っている。国立国会図書館もまた、「日本の記憶」装置としての役割を果たすべきだろう。

 関西館は、「21世紀に迎える危機を克服し、人類の幸福に貢献する」ために研究を重ねる「関西文化学術研究都市」の一角にある。それだけに科学技術関係のほか、アジア関係の資料を重点的に収蔵し、閲覧室で約5万冊の資料を開架する。

 アジアの文献センターとしての情報発信機能を高めるためにホームページは英語版のほか、中国語や朝鮮語による利用案内なども充実させてほしい。ここは世界の人々に日本への理解を深めてもらう「窓」でもある。

 エジプトでは約2000年前、世界最大といわれた図書館の再現に向けてアレキサンドリア図書館がこのほど完成した。ここの最大の特徴は、当時の文化交流の中心であったように各種国際会議やイベントを通して世界中の文化・学術交流の拠点にすることだという。

 新時代の図書館は、文明の衝突を乗り越え、民族、宗教間の相互理解を深めるための役割を担っている。私たちも、関西館を、日化を発信し、多文化理解の「知的拠点」として活用し、育てていきたい。