1994年5月26日木曜日

〇緑のしずく(1994年5月26日)

 〇緑のしずく(1994年5月26日)


 「日本の美しい五月のしずくを味わってください」との文章を添えて、知人が新茶を届けてくれた。緑の新茶は、まるで若々しい生命のもと。初々しい香りと苫みが体中にしみいってくる。

 五月の緑といえば、京都・嵯峨野の染織家、志村ふくみさん宅の軒先につるしてあった鮮烈な緑の糸を思い出す。「植物から緑の液を出して染めても、糸についた途端、ネズミ色になります。ピンクの花からもピンクの色はでません。幹に蓄えられていたものが花にでてしまうと、"死んだ"ということなんです」。志村さんは「色はただの色ではなく、木の精」というのである。

 「だったら、軒先のあの緑はどうして?」と聞けば、「黄色に藍をかけているのです。ある意味で藍は闇に最も近い色。黄色は光。ですから、闇と光が結合じたときに緑が誕生します。そこに生と死との接点があるのです」

 自然界から色を吸い上げ、糸と織りの中に自在に吐き出してゆく染織家の仕事。それはまた人が言葉をすくいだし、表現していくこととまったく共通している。「緑のしずく」を味わえば、少しは文章に「いのち」を吹き込めるか。勝手にそう思いこんでみたものの、うまくはいかない。

1994年5月12日木曜日

〇緑の音(1994年5月12日)

 


〇緑の音(1994年5月12日)


 「緑の風です。ああいい気持ちと思う。思えているのがうれしいです。風が田の上を渡っていきます。さやさや緑の音がきこえます。お元気ですか」

 そんな言葉が表紙に書き込まれている。姫路市の版画家、岩川健三郎さんの絵日記ふうの月刊個人誌「ヘラヘラつうしん」。最新の21号には、五十葉の版画による「米」特集があった。

 「子どもの頃、『十二月八日、お父ちゃんは何していたん?」と聞いた。真珠湾攻撃の、太平洋戦舶を始めたその歴史的な日を、当時生きていた人は

覚えている…と思ったのやった。が、親父は『さあ…、忘れた…』と言うのやった。ぼくはがっかりした」

 昨年十二月十四日未明、日本は米の輸入を認めた。「あの日、あの時、ぼくは何を思ったのだろうか…というくらいは記憶しておきたい。自分たちが食べる米を他国にゆだねてしまった。農民と水田を見捨てた」と岩田さん。「田んぼで家族総出で米を作る。その"最後の目撃者"になった気がする」

 ヘラヘラいうけど、素朴な言葉が胸にコトンと落ちる。通勤途中、目をなごませてくれた田んぼは今春次々と消え、駐車場や宅地になった。緑の音は遠のき、聞こえにくくなった。