2002年6月23日日曜日

西論風発:W杯教育論 文化人校長を登用しよう

 〇掲載年月日 2002年06月23日 

 西論風発:W杯教育論 文化人校長を登用しよう=池田知隆・論説委員 

  

  「やはり日本(韓国も同じかな?)は、グローバル化されたゲーム(市場)には、外国人の監督(経営者)をもってこないと、勝ち抜けない」

 サッカー・ワールドカップ(W杯)でフランス人監督、トルシエ氏が率いた日本代表の活躍に、友人の外資系証券会社副会長からそんなメールが届いた。

 「日産のゴーン社長の例もあるが、欧州系の経営者がいい。相手国の文化に敬意を払いながら、士気をあげることができる。米国系は自己本位で、自国流の押し付けになりがちだから駄目だ」とも、語っていた。「みずほ銀行という巨大な新組織にリーダーはいなかったね。あれではシステム障害を起こすよ」

 なるほど、日本の社会はシステム障害に陥ってるのかもしれない。今の日本に必要で、かつ決定的に欠けているのは、世界を相手に勝負するリーダーであり、監督(経営者)のようだ。

 その一方で、日本人の選手(従業員)の資質が決して悪くないこともはっきりした。ラグビーなど体力差が歴然と出る競技は別にして、スピードや技術力で戦えるゲームはいける。大リーグでは、イチローも野茂も石井も大健闘している。

 世界で“志”を果たす若者をどう育て、日本社会でどう生かしていくのか。その議論は、日本の教育の課題にいきつく。

 「いつも寝ている猫」「海に漂っているクラゲ」、そして「私は貝になりたい」――。教師たちが「生まれ変わった時、何になりたいか」と聞かれて、とっさに口に出たのがそれだった。「教師のためのお笑い実践セミナー」の取材で見た一コマだ。

 「面白い先生になって、笑いの絶えない明るい教室にしたい」と言いながらも、多くの教師たちは疲れていた。「生まれ変わったら、お笑い芸人のような人気者になりたい」との返答もあったが、笑ってばかりではすまされないのが学校の現実だ。

 そんな学校を再生させるためにリーダー(校長)を外部から積極的に迎えてほしい。同時に中田英寿選手のように、生徒の個性を引き出すために絶妙のパスを送る“MF(ミッドフィールダー)教師”を育成していくべきだろう。時代の変化に応じた教育システムづくりが大切だ。

 最近、企業人を校長に迎える動きが広がっている。だが、「何のために」という哲学をぬきに、やみくもに市場原理や効率化を導入しても、効果は薄い。企業人だけではなく、人間への深い理解力を備えた文化人も校長に登用すべきだ。W杯を通して見えた“人間再生術”を教育現場でも生かしてほしい。

 

2002年6月2日日曜日

西論風発:入学金・授業料返還 大学は経営モラル見直せ

 〇掲載年月日 2002年06月02日 

 西論風発:入学金・授業料返還 大学は経営モラル見直せ=池田知隆・論説委員 

  

  私立大学に前納した入学金や授業料が、入学辞退しても返還されないのは、昨春施行された消費者契約法違反ではないか。こう訴えて大阪の弁護士たちが「ぼったくり入学金・授業料返還弁護団」を結成した。今月末に41大学、19専門学校を提訴するが、この動きを支持したい。

 現在、大半の私大が「いったん納めた学費は返還しない」との入試要項をタテに入学辞退者への学費返還に応じていない。だが、「受験生の不安な心理につけこみ、大学は暴利を得ている」との批判が高まっている。

 先日、弁護士らが開いた「ぼったくり入学金・授業料110番」に寄せられた相談は約400件。その中には医学部を3校受験し、入学辞退した2校分で約1400万円の授業料などを支払ったケースもあった。

 最近は特に、少子化で推薦入試枠による「青田買い」傾向が進み、12月から入学金、授業料、施設費を一括納付させる私大が多い。文科省では来年度入試で「(大学納付金を)合格発表後、短期間内に納入させるような取り扱いは避けるなどの配慮」を一般入試だけではなく、推薦入試にも私大側に求めている。

 これまで授業料の納付期限をめぐって、旧文部省は75年に「入学式の2週間前以降」との大学局長通知を出し、多くの私大がそれに沿ってきた。文科省は、来年度の入試要項からさらに「学費を返還しない」との条項の削除も要請する。

 このような動きに対応して龍谷大学(京都市)は、今年度実施の全入試(13種)から、3月末(4月入学時)までは入学金(20万円)を除いて返還申請ができるようにする。他の大学もこれに続き、率先して「タダ取り」批判に答えてほしい。

 入学金を返還対象から除外するのも、本来はおかしな話だ。消費者契約法では、契約の取り消し料や違約金は、実際の損害額を超えてはならない、とある。入学しないのに、多額の入学金をとる理由は見当たらない。

 受験生が殺到した入試バブル期は過ぎ、大学は学生から選ばれる側に回った。大学が魅力ある教育・研究機関として生き延びるためには、経営内容を自浄しなくてはならない。書生論と言われかねないが、大学は、実際に学ぶ学生の授業料と公的補助、寄付で経営するのが常道だ。建学の精神を踏まえて、大学への寄付を求めやすくする手立てを考えていくべきだろう。

 大学経営は、教育への強い意思と情熱によってこそ支えられる。そのような教育的な原点から、大学の経営モラルを今一度、見つめ直してほしい。