2004年6月13日日曜日

西論風発:佐世保事件とネット社会 肉声による語りあいを

  

〇掲載年月日 2004年06月13日 

西論風発:佐世保事件とネット社会 肉声による語りあいを=論説委員・池田知隆 

  

 長崎県佐世保市の小学校で、同級生を殺害した小6女児は精神鑑定される。単に「キレる」という言葉ではすますことのできない、心の奥深い問題にどこまで迫れるのだろうか。

 このような事件が起きると決まってやり玉に挙げられるのが、電子・映像メディアだ。アニメ、ホラー映画などのビデオ約6000本を所有していた宮崎勤被告による幼女連続誘拐殺害事件は、佐世保の女児たちが生まれる前のこと。その後、子供を殺害する事件が目立ち、犯人の低年齢化傾向が生じている。今回もインターネット上の感情の暴走や、殺人ゲームを描き、映画化された小説「バトル・ロワイアル」の影響がみられる。各地の学校でカッターナイフの所持やネット使用、暴力的な映像を規制する動きがあるが、そんなことでは何も解決しない。

 欧米の神経医学の研究で、同じ文書でも活字を読む時とモニター画面で読む時とでは、脳内の活性化に違いがあるそうだ。人間が一生のうちに読める本は数千冊だが、同じ時間にみるテレビCMは数百万本に達するとの米国統計もある。電子メディアによる人間の感性の変化を見すえなくてはならない。

 インターネットを通して、だれもが自分の世界を拡張できる。一方、チャットやゲームなどに熱中するうちに、自らの存在が希薄化する面もある。自分の考えがどこにあるのか、画面やゲームの中なのか、と混乱し、現実と仮想現実を区別する能力が奪われることも否定しがたい。

 学校に「ネット環境」が浸透し、教室での生の会話よりもチャットを楽しむ子供が増えていると聞くと、気になる。さらに教師間や、教師と生徒の間でも人間的なつきあいが薄れているとすれば、やはり深刻だ。

 かつてテレビが出てきた時、やがて新聞がなくなるともいわれた。しかし、新聞には秩序立った紙面があり、映像が次々と流れるテレビとは異なる要素がある。新聞や活字を読むことで社会に対してより批判的に考えることができる。

 学校では、文字を読み、肉声で語り合ってほしい。そうやって共に学び、生活する場であることを今一度、再認識したい。