〇形見の声(1999年05月06日)
「いま、生ごみはすべて肥料にし、27種類の分別リサイクルをやっています」。水俣病の患者さんが淡々とそう語る言葉には、両親、弟妹など一家全滅という“重み”があった。東京都内でこのほど開かれた第1回水俣病記念講演会でのこと。分別種類の多さと環境づくりへの熱意に胸を突かれた。
水俣病が地元保健所に届けられ、公式に“発見”されたのは1956年5月1日。それから43年、水俣もまた風化にさらされている。繰り返し水俣を記憶していくために毎年この日の前後に講演会が催されることになり、初回のテーマは「私たちは何を失ったのか、どこへ行くのか」だった。
その席上、水俣の「語り部」でもある作家、石牟礼道子さんは「形見の声」と題してこう話していた。「患者さんたちは、苦しかったことよりも、一番よかった暮らしを思い出そうとしている。患者さんたちが生きてきた意味とは何だったのか。世の中が忘れた分、私たちが背負いながら、魂のつながりを大事にして生きていきたい」
しかしいま、水俣病を語ることは地元で嫌われ、現状報告した患者さんは「私の映像を水俣では流さないでほしい」と付け加えた。次々と亡くなっていく患者さんたちの沈黙と祈り。その「形見の声」を聴く力を、いつまでも失いたくないものだ。
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