1996年4月25日木曜日

〇別れ道(1996年04月25日)

  

〇別れ道(1996年04月25日) 


 「元気してる? 写真集を送るから見てね」。写真家、太田順一氏のやさしい声が電話口に響く。大阪に暮らす沖縄の人たちを撮った「大阪ウチナーンチュ」(ブレーンセンター刊)がまもなく届き、それをめくるうちに、27年前の光景がよみがえってきた。

 1969年4月。当時、「ヨン・ニッパー」と呼んでいた「4・28沖縄デー」を数日後に控えたころだった。大学入学直後、彼の下宿でぼくは級友に沖縄で見た基地の姿を熱っぽく語った。向学心に燃え、語学学校にも通っていた彼に別れ際、「いま、そんな時期か!?」と言ったような記憶がある。

 それから10年後。大阪の警察署内で取材中、ばったり出会った。「あれっきり姿を消したので、心配していたよ」と彼。中退したと思われていたぼくが卒業して新聞記者になっていたから、目を丸くしていた。逆に彼のほうが中退し、カメラマンになっていた。

 よく酒を飲み交わすが、あの別れ際のぼくの言葉に、彼はいつも苦笑いするだけだ。人々の暮らしに丁寧に向き合う彼の仕事ぶりには教えられる。「おまえはただジタバタしてきただけではないか」。心の奥から憎らしい声が聞こえてきた。ああ。

1996年4月4日木曜日

〇旅ゆけば…(1996年04月04日)

  

〇旅ゆけば…(1996年04月04日) 

 

 なんでもない事柄でも、旅をしているとひときわ印象深く見えることがある。やみの中、一筋の光で浮かび上がってきた光景もそうだった。

 3月下旬、ドイツで開かれた日本の宗教に関する国際シンポジウムに参加して帰国する機内でのこと。ほとんどの乗客が眠りにつき、エンジン音だけが静かに響いていた。そのとき斜め前の日本人女性が何気なくライトをつけ、雑誌を広げた。その光の先には、日本の新新宗教の教えが説かれていた。

 ドイツ人大学教師の夫と幼女を連れての旅の途中、彼女はそのつかの間のひとときに安らぎを得ているかのようだった。ちょうど日本の新宗教、新新宗教の海外進出ぶりを取材してきた直後だっただけにその姿は強烈に映った。

 世界各地で民族と宗教をめぐる紛争が続く。宗教感覚があいまいだといわれる日本人は心のよりどころをどこに求めていくのだろうか。国際結婚した日本人女性の中には精神的な病に陥り、日本の新新宗教に入信する人も多い、とドイツ在住の日本人から聞いた。旅の最後に出合った光景は「きちんと追いかけろよ」とのお告げ(?)だったのか。旅をすれば、「心の風景」が鮮やかに見えてくる。