1999年5月20日木曜日

〇MF教師(1999年05月20日)  「いつも寝ている猫」「海に漂っているクラゲ」、そして「私は貝になりたい」――。教師たちが「生まれ変わったときに、何になりたいか」と聞かれ、とっさに口に出たのがそれだった。「キレる子供の心を救うには、お笑いが一番」という「教師のためのお笑い実践セミナー」に集まってきた教師たちはみんな疲れているようだ。  「面白い先生」になって、笑いの絶えない明るい教室にすれば、「学級崩壊」現象に少しでも対応できるかもしれない。そんな切実な思いを抱いている教師たちに、講師のお笑い評論家、西条昇さんはこう助言していた。  「サッカーの中田英寿選手のように教師はMF(ミッドフィールダー)として選手(子供)の個性を引きだすパスをタイミングよく出さなくてはいけません。監督、コーチなど、上の立場から言っても、何も届きませんよ」  発想が柔軟な子供たちはもともとユーモリストだし、バラエティー番組で笑いのセンスに磨きをかけている。「笑わせようとすれば、子供たちはさっと身を引き、座がシラッとするだけ」と教師は嘆き、笑いのパスを出す“MF教師”になるのは大変なようだ。そういえば、「生まれ変わったら、お笑い芸人のような人気者になりたい」との返答もあったが、笑ってばかりではすまされない話だ。【池田知隆】

 〇MF教師(1999年05月20日)



 「いつも寝ている猫」「海に漂っているクラゲ」、そして「私は貝になりたい」――。教師たちが「生まれ変わったときに、何になりたいか」と聞かれ、とっさに口に出たのがそれだった。「キレる子供の心を救うには、お笑いが一番」という「教師のためのお笑い実践セミナー」に集まってきた教師たちはみんな疲れているようだ。

 「面白い先生」になって、笑いの絶えない明るい教室にすれば、「学級崩壊」現象に少しでも対応できるかもしれない。そんな切実な思いを抱いている教師たちに、講師のお笑い評論家、西条昇さんはこう助言していた。

 「サッカーの中田英寿選手のように教師はMF(ミッドフィールダー)として選手(子供)の個性を引きだすパスをタイミングよく出さなくてはいけません。監督、コーチなど、上の立場から言っても、何も届きませんよ」

 発想が柔軟な子供たちはもともとユーモリストだし、バラエティー番組で笑いのセンスに磨きをかけている。「笑わせようとすれば、子供たちはさっと身を引き、座がシラッとするだけ」と教師は嘆き、笑いのパスを出す“MF教師”になるのは大変なようだ。そういえば、「生まれ変わったら、お笑い芸人のような人気者になりたい」との返答もあったが、笑ってばかりではすまされない話だ。【池田知隆】

1999年5月13日木曜日

〇知のゆくえ(1999年05月13日)

 〇知のゆくえ(1999年05月13日) 


 「日本の若者たちは携帯電話による『話し言葉』の世界にいるが、米国の若者はむしろ電子メールによる『書き言葉』のほうではないか」。先日開かれたサントリー文化財団の創立20周年記念国際シンポジウム「新たな知的開国をめざして」で、劇作家の山崎正和さんがこんな日米比較をしていた。

 それはパソコン、携帯電話の普及時期のズレで生じた一時的な現象かもしれない。だが確かに、自らの考えを世界に語るどころか、閉鎖的な“島宇宙”でおしゃべりに夢中な日本は、世界から見えにくくなっているようだ。

 「専門的な学術分野での交流は盛んでも、教養の分野での交流は細くなっていないか」。そう語る山崎さんはダニエル・ベルさん(ハーバード大名誉教授)たちと国際知的交流委員会を1997年に発足させ、先月末には国際総合誌「アステイオン」を再刊した。国境を超えた文化のルネサンスに日本も加わっていこう、というのだ。

 一方、世界からひときわ“浮遊”しているような日本の若者文化もまた、アニメ、コミック、ファッションのように言語や国境を超え、各地に浸透している。その影響は政治や経済活動よりも速やかで、意外と深い。日米のどちらが知的か、という前に、知的な貢献や交流のスタイルが大きく変わっていくのかもしれない。

1999年5月6日木曜日

〇形見の声(1999年05月06日)

 〇形見の声(1999年05月06日) 

 

 「いま、生ごみはすべて肥料にし、27種類の分別リサイクルをやっています」。水俣病の患者さんが淡々とそう語る言葉には、両親、弟妹など一家全滅という“重み”があった。東京都内でこのほど開かれた第1回水俣病記念講演会でのこと。分別種類の多さと環境づくりへの熱意に胸を突かれた。

 水俣病が地元保健所に届けられ、公式に“発見”されたのは1956年5月1日。それから43年、水俣もまた風化にさらされている。繰り返し水俣を記憶していくために毎年この日の前後に講演会が催されることになり、初回のテーマは「私たちは何を失ったのか、どこへ行くのか」だった。

 その席上、水俣の「語り部」でもある作家、石牟礼道子さんは「形見の声」と題してこう話していた。「患者さんたちは、苦しかったことよりも、一番よかった暮らしを思い出そうとしている。患者さんたちが生きてきた意味とは何だったのか。世の中が忘れた分、私たちが背負いながら、魂のつながりを大事にして生きていきたい」

 しかしいま、水俣病を語ることは地元で嫌われ、現状報告した患者さんは「私の映像を水俣では流さないでほしい」と付け加えた。次々と亡くなっていく患者さんたちの沈黙と祈り。その「形見の声」を聴く力を、いつまでも失いたくないものだ。

1999年4月22日木曜日

〇花の精(1999年04月22日)

 〇花の精(1999年04月22日) 

 

 「霊園の桜の下で、みんな楽しそうに歌って踊っている宴会の光景に大きなショックを受けました」。映像作品「ルポ・現代東京の墓地」(52分)をこのほど完成させたフランス・トゥールーズ大学講師、ナターシャ・アブリーヌさんが、上映会で感慨深そうに語っていた。日本人がまるで精霊と戯れているかのように見えたようだ。

 ナターシャさんは1995年、日仏文化の若手研究者に贈られる渋沢クローデル賞(毎日新聞社など主催)を受賞している。研究テーマは「日本における不動産バブル」で、バブルの際に最も「安定した空間」が墓地だとわかった。その賞金を基に昨春、激変する東京の最後の「抵抗の場」、墓地を撮影した。

 都心の寺の地下室にぎっしりと並ぶ位牌(いはい)、急増する個人墓、インターネットで墓参できる「電脳墓」、そして墓地での宴会……。パリのモンパルナス墓地などには芸術的な彫刻の墓が多く、パリっ子のデートコースになっているが、「お墓は聖地。お酒を飲んで騒いだりしませんよ」。この映像作品をテレビ局に売り、それを資金に再び第2部「葬儀産業」編に取り組む。

 一瞬の生と死をしのばせる桜は散り、命が躍動する青葉の季節へ。ナターシャさんの目を通して、変わりゆく自然と死生観がより鮮やかに感じられるようになった。

1999年4月15日木曜日

〇夢はいかが(1999年04月15日)

 〇夢はいかが(1999年04月15日) 


 最近話題のインド映画は、日本人にとっても「即効性のあるドリンク剤」だそうだ。映画「アンジャリ」(17日から東京・キネカ大森で公開)を見て、妙に楽しくなった。あっさりとインドの魔術にひっかかったらしい。

 知的障害と虚弱体質の幼女、アンジャリにできるのは、輝くような笑顔を見せることだけ。だけど、その無垢(むく)な魂の力は次々と奇跡を生む。「アンジャリ」とは神に祈る合掌を指す言葉で、社会的差別をテーマにした映画ながらも娯楽的要素がてんこ盛りだ。

 「ウエスト・サイド物語」ばりの群舞、「E・T・」の名場面などを引用し、そのアッケラカンぶりに驚き、愉快になってしまう。スクリーンに向かって懸命に拍手した日本映画のあの良き時代を懐かしく思い出し、インドの“熱気”にいつしか感動させられた。不況とはいえ、はるかに豊かなはずなのに精神的な閉塞(へいそく)感はインドとそんなに変わらないのだろうか。

 銀座シネパトスでもインド映画「ヤジャマン 踊るマハラジャ2」を同時期に上映し、両館をハシゴすれば割引サービスもある。最寄りの有楽町駅と大森駅をつなぐJR京浜東北線に乗れば、格安なインド映画ツアーができる。GW(黄金週間)には仮想の“日本脱出”で、ひとときの夢を見てはいかが。アンジャリ!


1999年4月8日木曜日

〇散華のとき(1999年04月08日)

 〇散華のとき(1999年04月08日) 

 

 桜が満開になった3日、一人の社会運動家が世を去った。福岡水平塾を主宰する松永幸治さん、74歳。部落解放運動に生涯をささげ、「運動が素晴らしいのではない。運動を進める人が素晴らしくなければならない」といつも言い続けた人だった。

 かつて海軍志願兵としてフィリピン・レイテ沖海戦に遭遇、乗組員約3000人の船でわずか6人の生き残りの1人になった。「残りの命は世のために」と、戦後は部落解放同盟初代委員長だった故松本治一郎(元衆、参院議員)の秘書を務め、全国を奔走した。

 同和対策事業の特別措置法が実施されて30年。同和地区の生活環境は大きく改善され、格差は是正されてきたものの、逆に「部落問題とは何か」が見えにくくなった。「部落の内と外から互いに越え、人間と人間の関係を考えよう」と松永さんは3年前に塾を開き、昨秋からは双書の刊行も始めた。

 「多彩な塾生に囲まれ、私の夢は今、実現している」。そう語っていたダンディーな松永さんは、美しい死の瞬間を待っていたかのように“散華(さんげ)(戦死)”した。葬儀で「家族を顧みず、運動に没頭した父を憎んできたが、弔辞を聞いて初めて誇りに思えた」と言う遺族の言葉が胸にしみた。これからの桜は、その老闘士の夢を思い起こす花となりそうだ。

1999年4月1日木曜日

〇遠い家族(1999年04月01日)

 〇遠い家族(1999年04月01日) 


 懐かしく、不思議な体験だった。草原でつつましく生きるモンゴルの人々を描いた映像作品「四季・遊牧」。上映時間7時間40分、休息時間も含めると10時間にも及ぶその「お弁当二つの上映会」が東京都内で開かれた。会場全体にゆったりとした空気が流れ、人間の暮らしをめぐって談笑の輪が広がり、いつしか私もひき込まれた。

 監督、撮影は滋賀県立大学教授(遊牧地域論)、小貫雅男さん。1992年秋から1年間、現地滞在して撮影したビデオ125時間分を編集した。ナレーターも自らこなし、愛情に満ちたまなざしで遊牧生活を映し出している。

 上映会には盛岡、仙台、新潟から駆けつけた夫婦連れがいた。応募はがきに「失業し、元気のない主人にプレゼントしたい」との添え書きもあった。今、家族ってなんだろう。家族は最も身近なようで、遠いのかもしれない。遠いモンゴルの家族を通して、観客はそれぞれの家族の絆(きずな)を探していた。

 「長時間かけ、私たちとは対極の“世界”に身を浸すことは意外と新鮮なようです。地道だけど、上映運動をめぐるさまざまな出会いを重ねる中で、現代の“閉塞(へいそく)”を打開する希望が見えてくるかもしれない。沖縄での上映会も決まり、いよいよ全国各地を回ります」

 春、4月。小貫さんの新たな旅立ちを見守りたい。