1999年4月22日木曜日

〇花の精(1999年04月22日)

 〇花の精(1999年04月22日) 

 

 「霊園の桜の下で、みんな楽しそうに歌って踊っている宴会の光景に大きなショックを受けました」。映像作品「ルポ・現代東京の墓地」(52分)をこのほど完成させたフランス・トゥールーズ大学講師、ナターシャ・アブリーヌさんが、上映会で感慨深そうに語っていた。日本人がまるで精霊と戯れているかのように見えたようだ。

 ナターシャさんは1995年、日仏文化の若手研究者に贈られる渋沢クローデル賞(毎日新聞社など主催)を受賞している。研究テーマは「日本における不動産バブル」で、バブルの際に最も「安定した空間」が墓地だとわかった。その賞金を基に昨春、激変する東京の最後の「抵抗の場」、墓地を撮影した。

 都心の寺の地下室にぎっしりと並ぶ位牌(いはい)、急増する個人墓、インターネットで墓参できる「電脳墓」、そして墓地での宴会……。パリのモンパルナス墓地などには芸術的な彫刻の墓が多く、パリっ子のデートコースになっているが、「お墓は聖地。お酒を飲んで騒いだりしませんよ」。この映像作品をテレビ局に売り、それを資金に再び第2部「葬儀産業」編に取り組む。

 一瞬の生と死をしのばせる桜は散り、命が躍動する青葉の季節へ。ナターシャさんの目を通して、変わりゆく自然と死生観がより鮮やかに感じられるようになった。

1999年4月15日木曜日

〇夢はいかが(1999年04月15日)

 〇夢はいかが(1999年04月15日) 


 最近話題のインド映画は、日本人にとっても「即効性のあるドリンク剤」だそうだ。映画「アンジャリ」(17日から東京・キネカ大森で公開)を見て、妙に楽しくなった。あっさりとインドの魔術にひっかかったらしい。

 知的障害と虚弱体質の幼女、アンジャリにできるのは、輝くような笑顔を見せることだけ。だけど、その無垢(むく)な魂の力は次々と奇跡を生む。「アンジャリ」とは神に祈る合掌を指す言葉で、社会的差別をテーマにした映画ながらも娯楽的要素がてんこ盛りだ。

 「ウエスト・サイド物語」ばりの群舞、「E・T・」の名場面などを引用し、そのアッケラカンぶりに驚き、愉快になってしまう。スクリーンに向かって懸命に拍手した日本映画のあの良き時代を懐かしく思い出し、インドの“熱気”にいつしか感動させられた。不況とはいえ、はるかに豊かなはずなのに精神的な閉塞(へいそく)感はインドとそんなに変わらないのだろうか。

 銀座シネパトスでもインド映画「ヤジャマン 踊るマハラジャ2」を同時期に上映し、両館をハシゴすれば割引サービスもある。最寄りの有楽町駅と大森駅をつなぐJR京浜東北線に乗れば、格安なインド映画ツアーができる。GW(黄金週間)には仮想の“日本脱出”で、ひとときの夢を見てはいかが。アンジャリ!


1999年4月8日木曜日

〇散華のとき(1999年04月08日)

 〇散華のとき(1999年04月08日) 

 

 桜が満開になった3日、一人の社会運動家が世を去った。福岡水平塾を主宰する松永幸治さん、74歳。部落解放運動に生涯をささげ、「運動が素晴らしいのではない。運動を進める人が素晴らしくなければならない」といつも言い続けた人だった。

 かつて海軍志願兵としてフィリピン・レイテ沖海戦に遭遇、乗組員約3000人の船でわずか6人の生き残りの1人になった。「残りの命は世のために」と、戦後は部落解放同盟初代委員長だった故松本治一郎(元衆、参院議員)の秘書を務め、全国を奔走した。

 同和対策事業の特別措置法が実施されて30年。同和地区の生活環境は大きく改善され、格差は是正されてきたものの、逆に「部落問題とは何か」が見えにくくなった。「部落の内と外から互いに越え、人間と人間の関係を考えよう」と松永さんは3年前に塾を開き、昨秋からは双書の刊行も始めた。

 「多彩な塾生に囲まれ、私の夢は今、実現している」。そう語っていたダンディーな松永さんは、美しい死の瞬間を待っていたかのように“散華(さんげ)(戦死)”した。葬儀で「家族を顧みず、運動に没頭した父を憎んできたが、弔辞を聞いて初めて誇りに思えた」と言う遺族の言葉が胸にしみた。これからの桜は、その老闘士の夢を思い起こす花となりそうだ。

1999年4月1日木曜日

〇遠い家族(1999年04月01日)

 〇遠い家族(1999年04月01日) 


 懐かしく、不思議な体験だった。草原でつつましく生きるモンゴルの人々を描いた映像作品「四季・遊牧」。上映時間7時間40分、休息時間も含めると10時間にも及ぶその「お弁当二つの上映会」が東京都内で開かれた。会場全体にゆったりとした空気が流れ、人間の暮らしをめぐって談笑の輪が広がり、いつしか私もひき込まれた。

 監督、撮影は滋賀県立大学教授(遊牧地域論)、小貫雅男さん。1992年秋から1年間、現地滞在して撮影したビデオ125時間分を編集した。ナレーターも自らこなし、愛情に満ちたまなざしで遊牧生活を映し出している。

 上映会には盛岡、仙台、新潟から駆けつけた夫婦連れがいた。応募はがきに「失業し、元気のない主人にプレゼントしたい」との添え書きもあった。今、家族ってなんだろう。家族は最も身近なようで、遠いのかもしれない。遠いモンゴルの家族を通して、観客はそれぞれの家族の絆(きずな)を探していた。

 「長時間かけ、私たちとは対極の“世界”に身を浸すことは意外と新鮮なようです。地道だけど、上映運動をめぐるさまざまな出会いを重ねる中で、現代の“閉塞(へいそく)”を打開する希望が見えてくるかもしれない。沖縄での上映会も決まり、いよいよ全国各地を回ります」

 春、4月。小貫さんの新たな旅立ちを見守りたい。