2006年9月28日木曜日

〇国王輪番制(2006年09月28日)

 〇国王輪番制(2006年09月28日)


 「ここの国王は輪番制です」

 マレーシアが英国の植民地統治から独立して49年。8月31日の独立記念式典に招かれ、そんな説明にびっくりした。13州のうち9州に州王がいて、5年ごと順番に国王の地位についている。知らなかったといえばそれまでだが、現地で聞くと、新鮮な驚きになる。

 国土は日本の9割弱。人口約2600万人のうち約66%をマレー系、26%を中国系、7%をインド系が占める多民族国家だ。地域や民族の多様性を維持しながら紛争を避ける知恵があった。

 独立式典は国内各地で行われ、今回、国王が参列したのはサラワク州(ボルネオ島)のクチンの会場だ。午前8時から多彩な民族衣装を着た子供たちの踊りなどを交えたパレードが延々2時間も続いた。同じ立憲君主国とはいえ、今の日本では見られない牧歌的な式典に不思議な感動を覚えた。

 隣国タイでは国王が軍部クーデターの行方を決め、その権威の重さを見せつけた。さて、日本の皇室論議はアジアからどう見られているのだろうか。今秋、そんな思いにとらわれている。

2006年8月10日木曜日

〇追悼展にて(2006年08月10日)

 〇追悼展にて(2006年08月10日) 

 

  「パレスチナ難民キャンプにいっしょに行きませんか」

 昨年6月に57歳で亡くなった画家、貝原浩さんにそう誘われたのは4年前のこと。京都・寺町のギャラリー・ヒルゲートで開催中の展覧会「追悼貝原浩―新たな出立」(13日まで)を見ながら、思い切ってその旅に同行しなかったことを後悔させられた。

 貝原さんは、チェルノブイリ原発事故後の現地で暮らす人々を描いた画文集「風しもの村から」や挿絵、マンガ、装丁など膨大な作品を残している。現代を深く見つめ、政治的な鋭いユーモアを含んだものが多い。

 会場には、「風しもの村」の人たちが描かれた大きな絵巻物が壁いっぱいに掛けられていた。貝原さんの遺骨の一部はその村に埋葬されているが、一瞬、その絵巻物の村人たちの間から貝原さんの霊魂が漂ってくるように思えた。

 旅すること、おいしい酒と食べ物が大好きだった貝原さんは何よりも「描く人」だった。絵描きとして人々の暮らしにどう向き合えるのか。そう問いかける旅につきあってみたかった。


2006年7月28日金曜日

〇蟻の兵隊(2006年07月28日)

 〇蟻の兵隊(2006年07月28日) 

  

 「このままでは死んでも死にきれない。切実な訴えがいつまでも心から消えません」

 22日から東京のミニシアターで一般上映が始まった長編ドキュメンタリー映画「蟻(あり)の兵隊」(池谷薫監督)を見た友人から熱っぽいメールが届いた。第二次大戦後も中国に残留し、中国の内戦を戦った奥村和一さんが国の戦争責任を追及する姿を描いた作品だ。

 私も試写で見たが、終戦後も陸軍の一部が「上官の命令」で戦い続けた事実に驚かされた。映画では奥村さんが靖国神社で、フィリピンから戦後29年たって帰国した小野田寛郎さんと激しく向き合うシーンが特に印象に残る。

 先週の土、日とも1日5回上映で、いずれも超満員。高齢者はもちろん、若い人がけっこう多かったそうだ。急きょ29日からは別の一館で1日2回上映となった。

 大阪の第七芸術劇場でも上映初日の8月5日、池谷監督と奥村さんの舞台あいさつを「ティーチイン」に切り替える。「こんな作品がヒットするなんて」と宣伝担当の松井寛子さんの弾む声を聞いて、うれしくなった。【池田知隆】

 

2006年6月29日木曜日

〇蝸牛(かたつむり)2006年06月29日

  

〇蝸牛(かたつむり)2006年06月29日 

  

 「蝸牛の歩み」と書かれた神戸の画家「石井一男」展の案内状が届いた(7月5日まで、ギャラリー島田=078・262・8058)。昨春、その女神像にひかれ、初めて絵を買ったのが縁だ。

 石井さんのデビュー話は何度聞いても、心を動かされる。古い長屋の2階に隠者のように住み、ひたすら自分を見つめ、絵を描いてきた。絵の中の女神との会話だけが生きる証しとはいえ、いくら描いても見てくれる人はいない。

 「このまま死ぬかもしれない」と必死の思いでギャラリーを訪ねたことで、密室の女神たちが一挙に脚光を浴びた。92年秋、49歳のときだった。「当ててはいけない光を当てたのではないか」と画廊主の島田誠さんは振り返る。

 「自分のことを分かってくれる人がいることで、本当に生きているという実感が持てます」とにこやかに語る石井さん。今も寡黙で質素に暮らす姿を見ると、励まされるようでうれしくなる。

 しかし、新たな世界を切り開くのは多難なことだ。ゆっくりとマイペースで進む「蝸牛の歩み」を静かに見守りたい。


2006年5月30日火曜日

〇天上の声 (2006年05月30日)

 〇天上の声 (2006年05月30日)

 

 「カセレリア!」

 沖縄県で開かれた「太平洋・島サミット」の記事を読んでいると、やさしい響きに満ちたリャンテルさんの声が天上から聞こえてきた。ミクロネシア連邦のポンペイ島でのあいさつの言葉だ。

 リャンテルさんは26年前、取材で世話になった島の老牧師。自宅から1時間も歩き、空港まで見送りにきてくれた。「もうあなたには生きて会えないから」と。

 彼の自慢は1936(昭和11)年、島の代表として日本を視察したこと。東京の軍人会館に泊まり、京都、大阪を回ったその旅が島の外に出た唯一の体験で、日本から帰る船の中で作った「アロハオエ」の替え歌を歌ってくれた。

 「大阪 お変わりない

 京都 今日で最後

 名古屋 お名残惜しいことで

 横浜 よろしく頼む

 太平洋 ごきげんよう

 新宿 死ぬまで忘れません」

 歌い終わると、リャンテルさんは麦ワラ帽子をぬぎ、私に差しだして「これしか渡すものがないんです」。あの帽子、どこにやってしまったのだろうか。


2006年4月27日木曜日

〇健康むら(2006年04月27日)

 〇健康むら(2006年04月27日) 

 

 「地域の活性化よりも、鎮静化こそが必要です」

 過疎化、高齢化が進む各地域で呪文のように「活性化」が叫ばれている中、島根県雲南市の佐藤忠吉さん(86)がそう言い続けて久しい。時代に先駆けて有機農業や低温殺菌牛乳づくりを始め、農業、商工や消費者を含めた地産地消や地域自給圏づくりなどにも地道に取り組んできた。

 「経済面だけで活性化しようとしても、こっちの村が良くなれば、隣の村がだめになる。住民のいのちや環境を守り、地域で生きる意欲を育てていきたい」

 佐藤さんのような地域づくりを考える人たちが集う「全国健康むら21ネット」発足記念集会が30日、大阪市中央区のアピオ大阪で開かれる。超少食健康法を提唱する甲田光雄医師(大阪)の基調講演や「農協の自給共生運動」「少食の経済学」などをめぐる多彩な報告が楽しみだ。

 鎮静化とは、今風にいえば「スローに」ということだろう。カンフル剤の注入という応急措置ではなく、「地域の健康」をじっくりと考えるときだ。


2006年3月29日水曜日

〇遠い記憶(2006年03月29日)

 〇遠い記憶(2006年03月29日)


 いつのころからか、歴史年表を見るのが好きになった。偶然、目にとまった日から世界が広がっていく。1960(昭和35)年のきょう3月29日の午後5時ごろ、総資本対総労働の闘いといわれた三池争議で、熊本県荒尾市の四山鉱前でピケ中の三池労組員、久保清さんが暴力団に刺殺された。

 46年前、私は小学5年生で、小学校区内の現場はよく通っていたところだ。大人たちの激しい争いについては何も分からず、ぼうぜんと見ていただけだが、事件は遠い記憶の底に刻まれている。

 炭鉱社宅内に建てられた久保さんの「殉難乃碑」を帰郷の際、何度か訪ねた。その後、碑は社宅撤去で殺害現場近くに引っ越し、労組の解散で解体寸前になった。

 最終的に2年前、碑は市内の遊園地、三井グリーンランド近くのお寺に落ち着いた。お寺は「いろんな人が碑を訪ねて来られます。炭鉱で栄えた町ですし、引き受けてよかったです」という。

 炭鉱が閉山してあすで9年になる。桜が咲き、遊園地からの歓声を聞き、久保さんの霊はどんな思いでいるだろうか。


2006年2月24日金曜日

〇春の課題(2006年02月24日)

 


〇春の課題(2006年02月24日) 

 

 「早稲田大学の大学院(法学)博士課程を受験します」。中央アジアのシルクロード沿いにあるキルギス共和国のK君(28)から先月初め、連絡があった。

 6年前、キルギスで日本語の通訳をしてくれた学生だ。ドイツの大学で修士課程を修め、あこがれの日本にいよいよ留学する。その受験のために1カ月間、宿泊させてほしいというのだ。だが、私がいる関西から東京まで往復するのは大変。つてをたどり、運よく大学近くの知人のマンションを格安で借りることができた。

 来日したK君は繰り返し問いかける。「どうして日本ではみんなバラバラなんですか?」。社会主義教育を受け、イスラム教徒の彼に、家主も戸惑っているのではないか。そう思っていたら、家主に「うちの家族はトルコなど海外によく旅行しているので、比較的寛容ですよ」といわれ、ほっ。

 「合格しました。あす、いったん帰国します」と先日、K君が喜んで報告してきた。さあ、これから彼に日本をどう理解させられるのか。それが春からの私のちょっとした課題だ。

2006年1月27日金曜日

〇ふるさとの力(2006年01月27日)

 〇ふるさとの力(2006年01月27日) 


 「このまま1人でいると、マンション9階の自室から飛び降りてしまう」。昨年暮れの深夜、そんな思いにとらわれて大学時代の級友、A君(56)が車を飛ばし、約300キロ離れた郷里に帰った。心臓が高鳴り、「運転中、事故で死んでもいい」と思ったそうだ。

 これまでに知るA君からは考えられない行動だった。級友間に衝撃が走り、「誰かAの郷里の精神科医を知らないか」と緊急メールが流れると、「カミさんの症状と似ている。パニック障害ではないか」との返信もあった。

 パニック障害は、実際には危機でないのに、脳が幻の危機を感知してパニック発作が起きる病気だそうだ。何のきっかけもなく突然発作が起こるタイプもあるが、適切な治療で治るといわれる。

 A君は独身で、詩や美術を愛し、公立美術館学芸員を務めている。「春に早期退職する。それからのことは郷里に戻って考えるよ」と悠々と語っていた矢先のことだった。今、郷里の親族に支えられ、順調に回復していると聞き、安心した。ふるさとには「癒やし」の力がある。