1994年3月17日木曜日

〇命の重さ(1994年3月17日)

 


〇命の重さ(1994年3月17日)


 「むなしい」ーいつも手にしてい「た大学ノートの表紙に赤のボールペンでそう書き残し、一人の校長が自ら命を絶った。一九八四年三月十日午後六時三十五分、徳島県の吉野川上流の渓谷、大歩危橋。日が沈み、一段と冷え込みだしたころ、橋の欄干を越えて、三十七㌶下の岩場に身を投げた。

 校長が勤めていた大阪府高槻市立小学校では、卒業証書の年号表記を西暦にするか元号にするかで、教職員とPTAの間に激しい意見の対立が続いていた。橋の上に残されたふろしきの中には卒業式の式辞の下書きもあった。

 十年前のきょう十七日に行われたその卒業式。卒業証書は「校長の遺志を尊重」し、元号表記になっていた。当時、高槻駐在の社会部記者だった私は、その死の周辺をできる限り追おうとしたが、翌十八日、グリコの社長が誘拐され、深夜に高槻市内の電話ボックスから「現金十億円と金一〇〇㎏」を要求する脅迫状が見つかった。

 「劇場犯罪」の端役として巻き込まれ、長く続いた緊張の日々。一昔前とはいえ、「昭和」の終わりに向かう時代の空気は重かった。連続、バラバラ、と殺人が相次ぐ昨今、空気も人の命も軽く、薄くなってきたのか。

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