2006年5月30日火曜日

〇天上の声 (2006年05月30日)

 〇天上の声 (2006年05月30日)

 

 「カセレリア!」

 沖縄県で開かれた「太平洋・島サミット」の記事を読んでいると、やさしい響きに満ちたリャンテルさんの声が天上から聞こえてきた。ミクロネシア連邦のポンペイ島でのあいさつの言葉だ。

 リャンテルさんは26年前、取材で世話になった島の老牧師。自宅から1時間も歩き、空港まで見送りにきてくれた。「もうあなたには生きて会えないから」と。

 彼の自慢は1936(昭和11)年、島の代表として日本を視察したこと。東京の軍人会館に泊まり、京都、大阪を回ったその旅が島の外に出た唯一の体験で、日本から帰る船の中で作った「アロハオエ」の替え歌を歌ってくれた。

 「大阪 お変わりない

 京都 今日で最後

 名古屋 お名残惜しいことで

 横浜 よろしく頼む

 太平洋 ごきげんよう

 新宿 死ぬまで忘れません」

 歌い終わると、リャンテルさんは麦ワラ帽子をぬぎ、私に差しだして「これしか渡すものがないんです」。あの帽子、どこにやってしまったのだろうか。


2006年4月27日木曜日

〇健康むら(2006年04月27日)

 〇健康むら(2006年04月27日) 

 

 「地域の活性化よりも、鎮静化こそが必要です」

 過疎化、高齢化が進む各地域で呪文のように「活性化」が叫ばれている中、島根県雲南市の佐藤忠吉さん(86)がそう言い続けて久しい。時代に先駆けて有機農業や低温殺菌牛乳づくりを始め、農業、商工や消費者を含めた地産地消や地域自給圏づくりなどにも地道に取り組んできた。

 「経済面だけで活性化しようとしても、こっちの村が良くなれば、隣の村がだめになる。住民のいのちや環境を守り、地域で生きる意欲を育てていきたい」

 佐藤さんのような地域づくりを考える人たちが集う「全国健康むら21ネット」発足記念集会が30日、大阪市中央区のアピオ大阪で開かれる。超少食健康法を提唱する甲田光雄医師(大阪)の基調講演や「農協の自給共生運動」「少食の経済学」などをめぐる多彩な報告が楽しみだ。

 鎮静化とは、今風にいえば「スローに」ということだろう。カンフル剤の注入という応急措置ではなく、「地域の健康」をじっくりと考えるときだ。


2006年3月29日水曜日

〇遠い記憶(2006年03月29日)

 〇遠い記憶(2006年03月29日)


 いつのころからか、歴史年表を見るのが好きになった。偶然、目にとまった日から世界が広がっていく。1960(昭和35)年のきょう3月29日の午後5時ごろ、総資本対総労働の闘いといわれた三池争議で、熊本県荒尾市の四山鉱前でピケ中の三池労組員、久保清さんが暴力団に刺殺された。

 46年前、私は小学5年生で、小学校区内の現場はよく通っていたところだ。大人たちの激しい争いについては何も分からず、ぼうぜんと見ていただけだが、事件は遠い記憶の底に刻まれている。

 炭鉱社宅内に建てられた久保さんの「殉難乃碑」を帰郷の際、何度か訪ねた。その後、碑は社宅撤去で殺害現場近くに引っ越し、労組の解散で解体寸前になった。

 最終的に2年前、碑は市内の遊園地、三井グリーンランド近くのお寺に落ち着いた。お寺は「いろんな人が碑を訪ねて来られます。炭鉱で栄えた町ですし、引き受けてよかったです」という。

 炭鉱が閉山してあすで9年になる。桜が咲き、遊園地からの歓声を聞き、久保さんの霊はどんな思いでいるだろうか。


2006年2月24日金曜日

〇春の課題(2006年02月24日)

 


〇春の課題(2006年02月24日) 

 

 「早稲田大学の大学院(法学)博士課程を受験します」。中央アジアのシルクロード沿いにあるキルギス共和国のK君(28)から先月初め、連絡があった。

 6年前、キルギスで日本語の通訳をしてくれた学生だ。ドイツの大学で修士課程を修め、あこがれの日本にいよいよ留学する。その受験のために1カ月間、宿泊させてほしいというのだ。だが、私がいる関西から東京まで往復するのは大変。つてをたどり、運よく大学近くの知人のマンションを格安で借りることができた。

 来日したK君は繰り返し問いかける。「どうして日本ではみんなバラバラなんですか?」。社会主義教育を受け、イスラム教徒の彼に、家主も戸惑っているのではないか。そう思っていたら、家主に「うちの家族はトルコなど海外によく旅行しているので、比較的寛容ですよ」といわれ、ほっ。

 「合格しました。あす、いったん帰国します」と先日、K君が喜んで報告してきた。さあ、これから彼に日本をどう理解させられるのか。それが春からの私のちょっとした課題だ。

2006年1月27日金曜日

〇ふるさとの力(2006年01月27日)

 〇ふるさとの力(2006年01月27日) 


 「このまま1人でいると、マンション9階の自室から飛び降りてしまう」。昨年暮れの深夜、そんな思いにとらわれて大学時代の級友、A君(56)が車を飛ばし、約300キロ離れた郷里に帰った。心臓が高鳴り、「運転中、事故で死んでもいい」と思ったそうだ。

 これまでに知るA君からは考えられない行動だった。級友間に衝撃が走り、「誰かAの郷里の精神科医を知らないか」と緊急メールが流れると、「カミさんの症状と似ている。パニック障害ではないか」との返信もあった。

 パニック障害は、実際には危機でないのに、脳が幻の危機を感知してパニック発作が起きる病気だそうだ。何のきっかけもなく突然発作が起こるタイプもあるが、適切な治療で治るといわれる。

 A君は独身で、詩や美術を愛し、公立美術館学芸員を務めている。「春に早期退職する。それからのことは郷里に戻って考えるよ」と悠々と語っていた矢先のことだった。今、郷里の親族に支えられ、順調に回復していると聞き、安心した。ふるさとには「癒やし」の力がある。

2005年12月26日月曜日

〇Y君の就職(2005年12月26日)

 〇Y君の就職(2005年12月26日)  

  

 「母が亡くなった」。先日、九州に住む大学時代の級友、Y君から久しぶりに連絡があった。友人の参列を遠慮したようで、告別式は既に終えていた。

 裁判官の息子だった彼は、司法試験を目指し、浪人生活を続けているうちに、社会にでる機会を失った。裁判官を退職後、公証人になった父は亡くなり、最近は母の介護をしていた。

 兄弟も年金もない彼の老後がクラス仲間でよく話題になった。「みんなで共同別荘を持ち、管理人に招こうか。それには山より海の近くがいい」と年末、その候補地探しを始める矢先だった。

 だが、彼は「母の実家の焼酎会社社長をしているいとこが、うちで働かないかと言ってくれた」と喜んでいた。どうやらそのいとこが、お母さんを喜ばせようとしたようだ。それを聞き、お母さんは最後の胸のつかえをおろして亡くなった。いい話だった。

 定年前に退職する級友もいる。それとバトンタッチするかのように50代後半で初めて就職するY君。「何はともあれ、乾杯!」と共に飲みたい気分だ。


2005年11月25日金曜日

〇生命線(2005年11月25日)

 〇生命線(2005年11月25日) 

  

 「聖(ひじり)」とはもともと、「聴く力」をもつ人のことだろうか。「聖」の文字は、「耳」を「呈」すると書くではないか。人々の悩みや苦しみや悲しみ、命の叫びを聴くために、自分の耳を相手に差し出す人を指しているようだ。

 伊藤みどりさんも現代の「聖」といえるかもしれない。台湾語・北京語によるいのちの電話「関西生命線」(06・6441・9595)を大阪で開設し、今月で15周年を迎える。

 そのきっかけはふと目にした新聞だった。2日間連続で、台湾人ホステス4人が川に飛び込み、1人が死亡、という記事があった。「もし彼女たちの悩みを聞く1本の電話でもあれば、自殺を防げたかもしれない……」。台湾生まれの伊藤さんも日本人男性と結婚して来日し、日本語が分からず、悩み続けた。その体験から日本初の「生命線」を維持している。

 「受話器を通し、日本の社会がよく見える」と伊藤さんは言う。「関西生命線」の活動をどう支えていくのか。それは、関西という地域の外国人の声を「聴く力」を示している。