〇掲載年月日 2002年03月23日
西論風発:葬祭ビジネス 「悲しみ」をもてあそぶな=池田知隆・論説委員
「目の前に春が見えてきました。希望と自然の芽吹きがいっぱいのときに不躾(ぶしつけ)ですが……」。そんな書き出しの手紙が、遠くにいる友人から届いた。読み進み、「私の人生の幕を少し早めに下ろさざるを得なくなりました」とのくだりに胸を突かれる思いがした。突然に「末期がん」と宣告され、緩和ケア病棟(ホスピス)にいる、とあった。
死にゆく友にどのように寄り添えるのか。いつものことながら、立ちすくんでしまう。
家族が死に直面したときの悲しみ。精神的な混乱。そんな中であわただしく進められる葬儀をめぐる不祥事が最近、相次いで表面化している。
自治体の斎場で慣例化していた市職員への「心づけ」。葬祭業者も、遺族に紹介した寺院からお布施のリベートを受け取っていた。大学病院で葬祭業者が遺体解剖作業を手伝っていることにも驚かされた。
地域の絆(きずな)が弱まり、核家族化が進み、葬祭業者に葬儀のすべてを依存することが多くなった。しかし、生活者の冷静な目でその現状を見たとき、理不尽なことが目立つ。
よく葬式仏教という言葉で日本の仏教の現状が批判される。だが、今では僧侶が葬祭業界の論理に埋没し、何もかも業者任せのケースがある。葬儀で法話もしない僧も多い。宗教者でさえ悲しみの共感が薄らぎ、葬式仏教どころか、葬儀を形がい化させる役割を担っている。
葬式費用は全国平均で226万円(99年、日本消費者協会調べ)。高齢化の進行で死亡者数は年々増加し、葬祭ビジネスは3兆円産業といわれる。ホテル、生協、電鉄会社など異業種からの参入も著しい。
消費者と事業者との対等な関係をすすめる「消費者契約法」が施行されて1年。葬儀における消費者とは遺族のことだが、葬儀における消費者と事業者との情報格差は大きい。「料金の透明化」に向けて、葬祭ビジネスは生活者、消費者の立場への転換が求められている。
だが、死の商品化の風潮をそのまま受けとめることはできない。葬儀が事務的に処理されていくようになれば、遺族の心の癒やしは望めない。日本人の宗教意識の根幹を揺るがしかねない葬儀ビジネスの推移をもっと注視すべきだろう。
今、お彼岸の最中だ。生前契約、散骨、樹木葬、共同墓……と「あの世」への道は多様化してきた。さまざまな流儀で死と向き合える時代だ。開花した桜の下で死にゆく友を思い、今はただ、人々の悲しみをもてあそぶな、とだけ言っておきたい。
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