2002年2月17日日曜日

西論風発:地域再生 「関西学」を確立しよう

 〇掲載年月日 2002年02月17日 

 西論風発:地域再生 「関西学」を確立しよう=論説委員・池田知隆 

  

  「関西の敵は、東京ではない。関西それ自身です」

 第40回を迎えた先の「関西財界セミナー」で、経営コンサルタント、大前研一氏は断言した。相変わらず「関西再生」をテーマに掲げ、地盤沈下を嘆く論議にあきれ返った表情だった。

 「関西の地盤沈下は、1970年の大阪万博から始まる。花博から大阪オリンピックの招致と、いわば“お祭り”経済だ。一時的なにぎわいを求め、ふだんの経済努力をしていない」

 効率よく、短期間にもうける“お祭り”経済。万博景気の思い出にひたり、関西は“失われた30年”を過ごしてきた。一極集中が進む東京との格差は広がる一方だが、それも目先の成功に目がくらみ、安易な効率性をありがたがった結末なのだ。

 では、どうすればいいのか。ごく単純だが、足元を見つめることから始めるしかない。

 今、日本各地で公共投資や企業誘致など外部の力に頼らない新しい地域づくりの手法=「地元学」の動きが広がっている。都市圏の豊かさに目を向けた「ないものねだり」をやめ、地域の風土、文化、お金にあくせくしない生き方など多様な価値を見つめ、「あるもの探し」をしようというのだ。

 地元学を提唱した熊本県水俣市では、「水俣病」以来、不信と偏見が渦巻いた人々の心を結び直し、住民と行政の協働でコミュニティーの再生を目指している。補助金に依存せずに環境、農業、総合学習などに取り組み、各地から視察や修学旅行が相次いでいる。地元学協会事務局長で水俣市職員の吉本哲郎さんは「環境都市として世界的な環境賞を取りたい」と夢を語る。

 鳥取県は、県職員の給与カット分で今春にも少人数学級を導入するという。身銭を切りながら、地域の子供たちの育成にかかわっていこう、という姿勢に共感する。苦難を突き抜けた地方では、こんな自立的地域社会づくりが着実に進んでいる。

 欧米流の近代化を絶対的な尺度とすれば、他の文化は遅れたものにしか見えない。しかし、地域特有の自然や風土、歴史や固有の価値観をよりどころに、それぞれのスタイルでの発展が可能なはずだ。

 まずは「関西学」を確立しよう。もちろん、関西の豊かな歴史や文化を強調し、「お国自慢」するようではダメだが。

 関西圏では、どのような地域社会を形成していくのか。生活者優先の環境調和型の社会を目指すのか。その目標も方法論も、誰が組織するのかもはっきりしない現状で、「関西再生」をいくら叫んでも、うつろに響く。

 

2002年2月3日日曜日

西論風発:雪印食品問題 暮らしを見直す好機に

 〇掲載年月日 2002年02月03日 

 西論風発:雪印食品問題 暮らしを見直す好機に=池田知隆・論説委員 

  

  「非難する前に、ただただ悲しくなります」と、雪印食品問題で北海道の友人からメールが届いた。「雪印設立の経緯を知るだけに、食中毒事件以来、創業の原点に戻るという雪印を信じ、応援してきましたから」

 食中毒も、牛肉偽装も関西で表面化した。メールには「ひどい偏見を承知で言わせてもらえば、老獪(ろうかい)な関西の人よ、不器用で鈍重な北海道人の足を引っ張らないで」ともあった。北海道の人に複雑な感情をいだかせるほど関西は経済的に厳しい土地柄に見えたようだ。モラルハザード(倫理観の欠如)は何も関西に限ったことではないのだが。

 雪印乳業の創業者、黒沢酉蔵は、公害の原点といわれる足尾鉱毒事件を追及した田中正造の直弟子だ。渡良瀬川沿岸住民を救うために明治天皇へ直訴を図った正造に感動し、寝食を共にした。その後、牧夫生活を経て創設したのが北海道製酪販売組合(雪印乳業の前身)だった。

 雪印乳業のホームページに、事件の反省から「創業の精神である『健土健民』にたどりつきました」とある。「土」は大地の恵みである牛乳・乳製品を、「民」はお客、得意先、酪農家などを表している。いつしか精神的に離れてしまった「大地」に戻ろう、というのだ。

 世界を席巻する「ファストフード」に対して今、「スローフード」が注目を集めている。ゆっくり時間をかけて食事を楽しむだけではない。地域の伝統的な食材にこだわり、生産者との連携を深め、豊かな食文化を育てる運動で、1986年にイタリアの片田舎で始まった。

 スローといえば、スピードを重視するこれまでの社会では、否定的に受け止められがちだ。遅くて、効率が悪く、無駄が多い……と。しかし、社会がスローになると、地域や暮らしの姿がよく見える。そこから地域循環型社会に向けて、新しいライフスタイルを探る「スローライフ」への萌芽(ほうが)が出てきている。

 雪印食品問題で「食」への信頼が揺さぶられた。経済における倫理も根本から問われた。

 経済学の創始者といわれる「国富論」の著者、アダム・スミスは、もともと道徳哲学の教授だ。第一作「道徳感情論」では「自由競争ではあるが、自由放任ではない」と近代社会の原理を語っている。今一度、その経済の原点に立ち、「正義」とは何か、考えなくてはならない。

 バブルの崩壊という苦い教訓をどのように生かしていくのか。もっと地に足のついた経済とは何か。長い不況が続く今、ゆっくりと暮らしの在り方を見つめ直す好機としていきたい。