〇遠い声(1997年02月05日)
「やがてくる日に 歴史が正しく書かれる やがてくる日に 私たちは正しい道を進んだといわれよう……」
遠い記憶のやみの底から1編の詩が聞こえてきた。1960年9月、「総資本対総労働の闘い」といわれた三井三池争議が終結した際、労働組合のビラに書かれた詩だ。小学校6年生だったぼくに、衝突、流血、殺人と市街戦さながら目前で繰り広げられる争議の複雑さがわかるはずはない。ただそのフレーズだけが脳裏に刻まれていた。
その三池炭鉱が来月末に閉山する。閉山交渉を伝える小さな記事を読むたびに、幻のように郷里の光景がよみがえる。炭住街の共同浴場で汗を流す時の笑顔、運動会の地域対抗リレーでの元気な走りっぷり……。「私たちの肩は労働でよじれ 指は貧乏で節くれだっていたが そのまなざしはまっすぐで美しかったといわれよう」とその詩にあるが、炭鉱マンは家族の暮らしのために懸命に生きていた。
「民衆の闘いは、“水俣”だけじゃなか。三池の記録は少ないし、いっしょにまとめようか」。独り暮らしの母を亡くし、九州に帰郷していた友人にそう誘われ、まるで「忘れもの」を届けられたようだった。
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