〇空を越えて(1996年11月26日)
「手塚治虫さんをご存じだったそうですね。飲み屋で聞きましたよ」。先日、編集者から電話があり、一冊の新刊本が届いた。「空を越えて 手塚治虫伝」(創元社)。大阪北部の小学校教師だった今川清史さんが手塚マンガの魅力とその源泉を探った労作だ。
こんな一節がある。小学校時代の作文の先生、乾秀雄さんは「手塚治虫のような教え子をもったことを、どう思われますか」と新聞記者に問われ、こう答えている。「ぼくが彼にしてあげたことは特別にないけど、才能の芽をつむことはしなかった。これがぼくの教育者としての誇りですね」
マンガの神様から「人生の恩人」といわれていることは教師冥利に尽きる、とも思えるが、当人の言葉は謙虚だった。その記事をきっかけに今川さんは乾さんを訪ね、クラスの子たちにも手塚さんのことを語ってもらった。そして手塚マンガの源流には、作文教育と師弟愛がある、と書いている。
宝塚歌劇の取材で出会った手塚さんはぼくのような一記者にまで年賀状をくれ、そのこまやかな心遣いへの思いが胸をよぎる。時空を超えた人と人とのつながり。本を読み、心にぽっと灯りがともるようだった。