1996年11月26日火曜日

〇空を越えて(1996年11月26日)

 


〇空を越えて(1996年11月26日) 


 「手塚治虫さんをご存じだったそうですね。飲み屋で聞きましたよ」。先日、編集者から電話があり、一冊の新刊本が届いた。「空を越えて 手塚治虫伝」(創元社)。大阪北部の小学校教師だった今川清史さんが手塚マンガの魅力とその源泉を探った労作だ。

 こんな一節がある。小学校時代の作文の先生、乾秀雄さんは「手塚治虫のような教え子をもったことを、どう思われますか」と新聞記者に問われ、こう答えている。「ぼくが彼にしてあげたことは特別にないけど、才能の芽をつむことはしなかった。これがぼくの教育者としての誇りですね」                  

 マンガの神様から「人生の恩人」といわれていることは教師冥利に尽きる、とも思えるが、当人の言葉は謙虚だった。その記事をきっかけに今川さんは乾さんを訪ね、クラスの子たちにも手塚さんのことを語ってもらった。そして手塚マンガの源流には、作文教育と師弟愛がある、と書いている。

 宝塚歌劇の取材で出会った手塚さんはぼくのような一記者にまで年賀状をくれ、そのこまやかな心遣いへの思いが胸をよぎる。時空を超えた人と人とのつながり。本を読み、心にぽっと灯りがともるようだった。

1996年11月2日土曜日

〇ナシの涙(1996年11月02日)

 〇ナシの涙(1996年11月02日) 


 「今年の味はどう?」。九州の実家から「荒尾ナシ」が届き、母から電話があった。甘くて、水気も多く、歯ざわりのいいジャンボナシで、ふるさと自慢をしたくなるほどうまい。

 一切れ口に入れると、かつて三井三池炭鉱の黒ダイヤ景気にわき、いまはすっかり寂しくなった故郷の光景が目前に広がってくる。

北海道・夕張炭鉱の夕張メロンと同じように、炭鉱離職者対策の一端を担った特産品のナシは少しずつ知られるようになった。

 春、ナシ畑は白いじゅうたんを敷き詰めたように花を咲かせる。

ふと、映画「ひまわり」の1シーンが浮かんだ。出征した夫を捜し、ソフィア・ローレンが訪ねた激戦地一面に咲くひまわり。戦争の悲しみ、心に渦巻く情念を見事に表現していた。ここも労働争議、炭鉱爆発など時代の荒波に襲われ、ナシ畑の下には炭鉱マンの思いが埋もれ、白い花はその涙のようにも見える。

 いつも仰ぎ見ながら育った三池炭鉱のシンボルで、有明海底につながる「東洋一の竪坑やぐら」(旧四山鉱)が先日、爆破、解体された。三池炭鉱そのものも来春には閉山となり、124年の歴史を終える。今年のナシはほんのちょっとほろ苦い。


 「今年の味はどう?」。九州の実家から「荒尾ナシ」が届き、母から電話があった。甘くて、水気も多く、歯ざわりのいいジャンボナシで、ふるさと自慢をしたくなるほどうまい。

 一切れ口に入れると、かつて三井三池炭鉱の黒ダイヤ景気にわき、いまはすっかり寂しくなった故郷の光景が目前に広がってくる。

北海道・夕張炭鉱の夕張メロンと同じように、炭鉱離職者対策の一端を担った特産品のナシは少しずつ知られるようになった。

 春、ナシ畑は白いじゅうたんを敷き詰めたように花を咲かせる。

ふと、映画「ひまわり」の1シーンが浮かんだ。出征した夫を捜し、ソフィア・ローレンが訪ねた激戦地一面に咲くひまわり。戦争の悲しみ、心に渦巻く情念を見事に表現していた。ここも労働争議、炭鉱爆発など時代の荒波に襲われ、ナシ畑の下には炭鉱マンの思いが埋もれ、白い花はその涙のようにも見える。

 いつも仰ぎ見ながら育った三池炭鉱のシンボルで、有明海底につながる「東洋一の竪坑やぐら」(旧四山鉱)が先日、爆破、解体された。三池炭鉱そのものも来春には閉山となり、124年の歴史を終える。今年のナシはほんのちょっとほろ苦い。