1994年6月23日木曜日

〇歴史に刻む(1994年6月23日)

 


〇歴史に刻む(1994年6月23日)


 三カ月間の漂流のあと救助された諸井清二さんの愛艇、酒呑童子号。その名は確か山にも、と少年のころの記憶をたどるうちに、阿蘇外輪山近くの酒呑童子山と蜂ノ巣城が思い浮かんだ。

 一九六四年六月二十三日。酒呑童子山ろくの下笙ダム(熊本県小国町)の建設に反対する住民の拠点、蜂ノ巣城は、強制代執行で落城した。ちょうど三十年前の今日のことだった。城主、室原知幸氏は、独力で六法全書を読み込み、国家を相手に徹頭徹尾一人になっても執ように闘った末、ダムが完成した七〇年六月に亡くなった。

 晩年には、敵方の最前戦の指揮者(建設省地元事務所長)と、自らに敗訴判決をした裁判官の三人で耶馬渓の「青の洞門」を旅し、菊池寛の「恩讐の彼方に」の心境に達したそうだ。その生涯をかけて「訴訟記録という公的資料の中に(その時の)民主主義がどのよ

うなものであったか、刻みこもうとしていた」(松下竜一著「砦に拠る」)という壮烈さ。「肥後もっこす」の血をひくぼくはただ圧倒された。

 海にしろ山にしろ、「酒呑童子」のもとで闘った二人の強じんな自己統御力。諸井さんの航海日誌もまた、日本の民衆史に鮮明に刻まれる。


〇納豆戦略(1994年6月23日)

 


〇納豆戦略(1994年6月23日)


 「おもしろいですから、ぜひ参加しませんか」。今月四日から秋田市で開かれた第三回アジア無塩発酵大豆会議(世界納豆会議)。元農水省熱帯農業研究センター主任研究官、加藤清昭さんから誘われた。四年前、納豆のルーツを追ってアジアを旅したぼくにとって、多くの知人たちとも再会できる。

 「しょうゆ、豆腐、みその後を追って、納豆も世界に広がっている。地球環境と食の問題をみれば、納豆はますます再認識されていく」と加藤さん。科学万博が開かれた一九八五年に第一回会議の開催を呼びかけ、八七年からはFAO(国連食糧農業機関)のバイオテクノロジー担当官を務め、アフリカでの大豆生産と納豆に着目した。

 西アフリカには、現地の食用豆を糸引き納豆菌で発酵させたダワダワという伝統食品がある。加藤さんは、日本の学生ボランティアを募ってアフリカ各地で納豆試食会を開き、「納豆は"飢餓のアフリカ"ひいては地球を救う一つの戦略になる」とも語っていた。

 地球の恵みとしての大豆と、神秘的な発酵作用からもたらされる納豆。あいにく会議に行けなかったが、日常の暮らしと世界を結びつける粘っこい「納豆戦略」の夢を見届けたい。