〇歴史に刻む(1994年6月23日)
三カ月間の漂流のあと救助された諸井清二さんの愛艇、酒呑童子号。その名は確か山にも、と少年のころの記憶をたどるうちに、阿蘇外輪山近くの酒呑童子山と蜂ノ巣城が思い浮かんだ。
一九六四年六月二十三日。酒呑童子山ろくの下笙ダム(熊本県小国町)の建設に反対する住民の拠点、蜂ノ巣城は、強制代執行で落城した。ちょうど三十年前の今日のことだった。城主、室原知幸氏は、独力で六法全書を読み込み、国家を相手に徹頭徹尾一人になっても執ように闘った末、ダムが完成した七〇年六月に亡くなった。
晩年には、敵方の最前戦の指揮者(建設省地元事務所長)と、自らに敗訴判決をした裁判官の三人で耶馬渓の「青の洞門」を旅し、菊池寛の「恩讐の彼方に」の心境に達したそうだ。その生涯をかけて「訴訟記録という公的資料の中に(その時の)民主主義がどのよ
うなものであったか、刻みこもうとしていた」(松下竜一著「砦に拠る」)という壮烈さ。「肥後もっこす」の血をひくぼくはただ圧倒された。
海にしろ山にしろ、「酒呑童子」のもとで闘った二人の強じんな自己統御力。諸井さんの航海日誌もまた、日本の民衆史に鮮明に刻まれる。