〇知と愛(1994年4月14日)
その場に居合わせた喜びをしみじみと感じさせる集まりだった。十日、京都で開かれた故桑原武夫七回忌の公開講演会。新京都学派に連なる梅棹忠夫さんや梅原猛さんの"梅・梅対談"など超豪華な回想談が繰り広げられた。
戦後、哲学者の鶴見俊輔さんは二十六歳の京都大学助教授として桑原さんに招かれ、「日本の学歴でいえば、小学校卒なのに」と感激した。フランス思想の講座でフランス語のできない助教授。「明晰な理論」を貴ぶ桑原さんとは違い、「曖昧さこそが重要で、混沌に返れ」と言っていた鶴見さんは、学風においては弟子でなかったと語る。
二年後、うつ病で「自分の名を書くことがいや」になり、辞表を書いた。「君は病気です。休んで、だまって給料をとってればいい」と桑原さん。「そのとき辞めていれば、自殺したと思う」と鶴見さんは回想していた。
「安全を願い、しかも対立する若者を恐れない」と鶴見さんが評した「母性」的精神。専門を超えた「共同研究」で多くの遺産を残した「知と愛」。会場周辺の満開の桜から漂ってくる、そんな桑原さんの精霊を十分に吸い込み、胸に刻もうと素直に思った。すてきな花見の一日だった。
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