2005年11月25日金曜日

〇生命線(2005年11月25日)

 〇生命線(2005年11月25日) 

  

 「聖(ひじり)」とはもともと、「聴く力」をもつ人のことだろうか。「聖」の文字は、「耳」を「呈」すると書くではないか。人々の悩みや苦しみや悲しみ、命の叫びを聴くために、自分の耳を相手に差し出す人を指しているようだ。

 伊藤みどりさんも現代の「聖」といえるかもしれない。台湾語・北京語によるいのちの電話「関西生命線」(06・6441・9595)を大阪で開設し、今月で15周年を迎える。

 そのきっかけはふと目にした新聞だった。2日間連続で、台湾人ホステス4人が川に飛び込み、1人が死亡、という記事があった。「もし彼女たちの悩みを聞く1本の電話でもあれば、自殺を防げたかもしれない……」。台湾生まれの伊藤さんも日本人男性と結婚して来日し、日本語が分からず、悩み続けた。その体験から日本初の「生命線」を維持している。

 「受話器を通し、日本の社会がよく見える」と伊藤さんは言う。「関西生命線」の活動をどう支えていくのか。それは、関西という地域の外国人の声を「聴く力」を示している。

2005年10月28日金曜日

〇バッハの泉(2005年10月28日)

 


〇バッハの泉(2005年10月28日) 

  

 「今やっと、バッハの家の扉の前に立ったところかな」

 京都・バッハ・ゾリステンを主宰する福永吉宏さん(49)はしみじみと語る。バッハの教会カンタータ(声楽曲)200曲の全曲演奏に取り組んで18年余、その完結コンサートを来月3日、洛陽教会(京都市上京区)で開く。

 その全曲演奏は日本では初めてで、欧州でも極めて珍しいことだ。演奏会場の教会の定員は約200人。たとえ満席になっても、コンサートは赤字だった。それでも福永さんたちは聴衆と一緒にバッハの音楽を楽しんできた。

 「バッハは日曜日の礼拝に向けて毎週作曲し、合唱の練習しながらカンタータを作った。うまい歌手や楽器奏者がいつもいたわけではなく、暮らしの中に音楽が息づいていた。地位とか名誉を超え、音楽を愛したバッハの生き方にふれた思いがします」

 京都御所近くの教会で、静かに育ててきた「音楽の泉」。「いい仲間にめぐり合い、ここまで続けることができました」と福永さん。この泉を絶やさず、もっと豊かにわかせてほしい。


2005年9月24日土曜日

〇トラウマ(2005年09月24日)

 〇トラウマ(2005年09月24日) 

 

 阪神優勝が目前とはいえ、いまひとつ信じきれない。あのときの光景が今もよみがえるからだ。

 1973年10月22日夕、プロ野球セ・リーグの最終試合となった甲子園球場での阪神―巨人戦。それまで阪神は、残る2試合のうち一つの引き分けでも優勝できた。

 だが、中日戦に敗れ、その日を迎えた。巨人は、勝って59を決めたいところだ。当時、新聞記者1年生で、わくわくしながら球場の警備本部に詰めていた。

 結果は0―9で阪神の完敗。阪神最終打者が三振に倒れるや、「ウォー」とスタンドのあちこちで地鳴りのような声があがった。阪神ファンが金網を乗り越え、グラウンドに乱入してきたのだ。

 「あっ、王さん(貞治・現ソフトバンク監督)が襲われている!」。ぼくはオロオロと駆け回りながら、事件を間近に目撃できる記者の仕事の快感に酔った。

 鬱屈(うっくつ)と熱狂。暴動取材の貴重な初体験だったが、あの猛虎の叫びはトラウマ(心的外傷)のように残る。阪神優勝が常態化すれば、もうあの悪夢を見ることはなくなるかもしれない。

2005年8月4日木曜日

〇古里の声(2005年08月04日)

 〇古里の声(2005年08月04日) 

 

 東京・浅草の観音さまを久しぶりに訪ね、夕立にあって近くの居酒屋に飛び込み、雨宿りしながらビールを飲み始めたときだ。

 カウンターの向こうの座敷で、にぎやかに語らっていた若い4人連れの1人の声が耳に留まった。「九州の炭鉱町の○○小学校を出たんだけど……」。えっ、それって私の母校じゃないか。

 たまらず「私もそこの卒業生だけど……」と名乗ると、彼は「福岡のチンドン屋で、ひと仕事終えたところです」。関西に住む私は、福岡の見知らぬ彼と、東京での不思議な出会いに乾杯した。

 やがて「ちょっと校歌を歌ってみようか」とあいなったが、記憶の闇の底から歌詞が次々と出てくるではないか。「朝雲なびく 小岱(しょうだい)を 光と仰ぐ この窓に……」。自分でも驚くばかりだった。

 その直後、母校の中学校から同窓会の案内が届いた。炭鉱は閉山し、ベビーブーム世代とはいえ古里に残る友は少ない。「お盆に帰って来いよ」と旧友の声が遠くから聞こえてくる。これも観音さまのお導きか、40年ぶりに懐かしい友に会ってみよう。

2005年7月5日火曜日

〇絵師の問い(2005年07月05日)

 〇絵師の問い(2005年07月05日) 


 「チェルノブイリを前に、画家は何をしたらいいのだろうか」

 旧ソ連のチェルノブイリ原発事故から6年後の1992年2月、零下20度のベラルーシ(白ロシア)の村チェチェルスクを訪れた貝原浩さんは、そう自らに問いかけた。そこは、爆発によって巻き上げられた放射能が強い風によってまき散らされ、死の灰が集中的に降ってきたところだ。

 高度に汚染された土地に住み続ける人々。何も知らないで命を奪われる子供たち。美しい自然の中でつつましく、たくましく生きる姿を描き、画文集「風しもの村から」(平原社)を出した。

 その貝原さんが先月30日、がんで他界した。57歳だった。「画家というよりも絵師」と称し、庶民的な目線で社会的なテーマに挑んできた。死の10日前には「小泉首相と靖国問題を描きたい」と病床に画材を持ち込んだそうだ。

 東京芸術大の相撲部のとき、学生横綱だった輪島と対戦したことなどを照れくさそうに語っていた顔が懐かしい。残された絵を見る度に、私もまた「何ができるのか」と自問させられる。

2005年6月24日金曜日

〇単純で不思議なこと(2005年06月04日)

 〇単純で不思議なこと(2005年06月04日) 


 「単純だけど、やっぱり不思議だ。どう考えたらいいの?」。友人からそんなメールが届いた。

 なんでもある報告書が完成したので、関係者に約220部を配ることにした。最寄りの郵便局に相談したら、「持ち込みで、1部340円」と言われた。「数が多いから取りに来て」と交渉すると、集荷に来ることになった。

 ふと佐川急便のメール便を思い出し、交渉すると「1部75円です」との返事。「どうやって配達するの?」と尋ねると、「うち(佐川)で集荷して郵便局に持ち込み、配達してもらいます」。同じものを郵便局員が配達しても、料金は4分の1以下だった。

 日本郵政公社が大口荷主と契約して超安値で配達していることは知っていた。だが、私自身、生活感覚でピンと受け止めていなかった。「こんなアホな話、知ってる?」と周りに聞くと、「経費を節減するつもりなら、知ってて当然ですよ」といわれてしまった。

 だが、郵便局は本当にこれでいいの? 郵政民営化法案が国会で審議中だが、素朴な疑問からもう一度、考えたい。


2005年5月9日月曜日

〇女神(2005年05月09日)

 〇女神(2005年05月09日) 

 

 どうして絵を買おうという気になったのだろうか。これまでたくさんの展覧会に通ったが、絵を買うのは初めてだ。

 大型連休中、大阪市西区で開かれた神戸の画家、石井一男さんの展覧会「女神たち」。会場の天音堂ギャラリーはマンション6階の一室だ。靴を脱いで上がり、居間のような空間で、じっくりと絵に向き合ったせいだろうか。

 石井さんは寡黙で、暮らしぶりは質素だ。92年秋、49歳で開いた最初の個展では「絵を見てもらえるだけでうれしい」と売れた分をそっくり寄付しようとしたほどだ。当初、絵に署名を入れず、世に埋もれるのを当然視していたこの画家の思いにも胸を突かれた。

 なぜか不思議な巡りあわせも感じた。石井さんの父はフィリピンで戦死。天音堂の山口平明さんの父は毎日新聞記者で、広島支局で原爆にあって死んだ。戦後60年、つつましく暮らしてきた2人の遺児を女神の絵が結びつけた。

 黄金週間が終わり、手元に1枚の絵が残った。その野仏のような女神像を見ていると、うれしくてたまらなくなった。