2005年7月5日火曜日

〇絵師の問い(2005年07月05日)

 〇絵師の問い(2005年07月05日) 


 「チェルノブイリを前に、画家は何をしたらいいのだろうか」

 旧ソ連のチェルノブイリ原発事故から6年後の1992年2月、零下20度のベラルーシ(白ロシア)の村チェチェルスクを訪れた貝原浩さんは、そう自らに問いかけた。そこは、爆発によって巻き上げられた放射能が強い風によってまき散らされ、死の灰が集中的に降ってきたところだ。

 高度に汚染された土地に住み続ける人々。何も知らないで命を奪われる子供たち。美しい自然の中でつつましく、たくましく生きる姿を描き、画文集「風しもの村から」(平原社)を出した。

 その貝原さんが先月30日、がんで他界した。57歳だった。「画家というよりも絵師」と称し、庶民的な目線で社会的なテーマに挑んできた。死の10日前には「小泉首相と靖国問題を描きたい」と病床に画材を持ち込んだそうだ。

 東京芸術大の相撲部のとき、学生横綱だった輪島と対戦したことなどを照れくさそうに語っていた顔が懐かしい。残された絵を見る度に、私もまた「何ができるのか」と自問させられる。