〇掲載年月日 2003年03月01日
西論風発:辻元講師問題 多様な人に門を開こう=論説委員・池田知隆
4月に開設される大阪市立大の社会人大学院「創造都市研究科」が、秘書給与問題で衆院議員を辞職した辻元清美氏の講師起用の内定問題で揺れている。
同研究科は先日、この問題について初会合を開いたが、結論は出なかった。社会人大学院は、社会で実際に直面した難題を広い視野から解決を探る場でもあるはずだ。その設立理念がさっそく問いかけられた形だ。
辻元氏を起用予定の科目は、都市政策専攻の前期「ワークショップ」。客船で世界を回り国際交流を行った「ピースボート」の運営や、特定非営利活動(NPO)促進法成立に向けた活動を語ってもらうのが狙いだ。
ところが、その内定が報じられるや、「疑惑のある人物をなぜ呼ぶのか」と市議会の自民党議員が質問し、大学にも抗議電話があった。公立大として議会の意向を無視できないのは当然だが、「学問の自由」の原則を抜きに大学は成り立たない。
日本国憲法第23条の「学問の自由」は、大学だけでなく、その構成員にも保障されている。いかなる教材を用い、いかなる学説を講義するかは、大学の研究者の自由な判断にゆだねられる。担当分野の研究者が依頼し、いったん内定した講師に対して大学機関がそれを取り消すには明確な根拠が必要だ。
もちろん法律論を駆使し、ゲスト講師の適格性を厳密に論議することも可能だろう。だが、何よりも大切なことは、そこから何を学ぶかではないのか。
大阪にはかつて、町人たちが作った学問所「懐徳堂」があった。それが創設されたのは享保9(1724)年で、経済、文化が爛熟(らんじゅく)した元禄期から遠のき、不況のさなかだ。「書生の交りは、貴賎貧富を論ぜず、同輩と為すべき事」と自由な精神をうたい、ここから山片蟠桃、富永仲基ら優れた学者が生まれ、旺盛な企業家精神が育った。
その懐徳堂は幕末維新の動乱で明治2(1869)年、歴史を閉じた。やがて大阪では、学問は空理空論で、実業と結びつかないとばかりに軽視されがちな風土がいつしか形成され、都心からも大学が消えた。
だが、都市の活性化の源泉として知的拠点が必要だ。今、大阪の都心にも社会人大学院が集まり始めている。創造都市研究科は、その知的ネットワークの柱になってほしい。そのためにもこの問題をうやむやにせず、説明責任を果たすべきだ。
社会人大学院は、多く失敗の経験をもとに率直に論議する場であってもいい。真理探究の場として、多様な人に広く門を開くべきではないかと思う。
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