〇掲載年月日 2003年03月30日
西論風発:民間人校長 学校をのびやかな環境に=池田知隆・論説委員
「学校に新風を」と、商社、マスコミなど多彩な分野から選ばれた民間人校長が急増している。4月の新学期には21都道府県52人になる。学力低下や学級崩壊が叫ばれる中で、閉塞(へいそく)感に覆われた学校に大きな風穴を開け、新しい息吹をどんどん吹き込んでほしい。
「能力のない者が校長になり、たくさんの方に迷惑をかけ、申し訳ない」
そんなメモを残して広島県尾道市の小学校長が先日、自殺した。元銀行マンだったその民間人校長の死は痛ましく、極めて残念な出来事だ。
「学校職を選んだのは間違いだった」「40年前の小学校のイメージで着任したが、理想と現実に落差があった」
死後、伝えられた校長の言葉の数々に胸を突かれる思いがする。民間人校長の制度を率先して実施してきた広島県教育委員会は、校長の死の背景について徹底的に調査中だという。民間の発想で何を変えることができ、何ができないのか。支援体制をめぐる行政自らの責任も含めた説明が求められる。
学校運営における校長のリーダーシップの不在が指摘されて久しい。民間人校長は、外部の視点から学校の大胆な経営改革を期待されがちだ。
だが、学校は「教育工場」ではない。教育の素人にいきなり現場の指揮権が与えられても、できることは自(おの)ずと限られる。トップダウン方式で生産性をあげるような経営手法を強引に持ち込んでも、教員たちは動かない。実際に教員との間で深刻なトラブルが生じている地域もある。
では、民間人校長に何ができるのか。今春、商社マンから民間人校長になる友人はこう語っていた。「それまでの職場の成功体験を学校で再現しようにも通用しない。むしろさまざまな事態に向き合ったとき、きちんとした“見識”を示せるかどうか。それが勝負じゃないかな」
民間人校長には、密室に陥りがちな学校の中に、社会人としての見識を吹き込む役割がある。地域の学校をどのようにしたいのか。教員、父母に問いかけ、率直に語り合える場をつくってほしい。経営能力よりもまずは見識が必要だ。
亡くなった校長は、自らの小学校時代と重ねて学校づくりの夢を抱き、現実に裏切られた。40年の間に学校はいつしか窮屈な世界になってはいないか。
そうであれば、今、最も大切なのは、学校の自律性をいかにはぐくむかではないだろうか。学校改革の原点は、何でも語り合える「のびやかな」環境の再生にある。