2003年11月23日日曜日

西論風発:文化力 「クール・ローカル」の視点を

 〇掲載年月日 2003年11月23日 

西論風発:文化力 「クール・ローカル」の視点を=池田知隆・論説委員 

 

 ちょっと視点を変えれば、世界が新鮮に見え、元気が出てくることがある。日本にとって「クール・ジャパン」という言葉がいま、そんな役割を果たしている。クールとは、ここでは「冷たい」ではなく、「かっこいい」という意味だ。

 ファッションやアニメーション、ゲームソフト、音楽、料理などの分野で、日本の文化が世界を席巻している。いまや経済成長だけが豊かさの基準とはいえない。世界は国民総生産(GNP)からグロス・ナショナル・クール(GNC)、つまり「国民総文化力(かっこよさ)」をみる時代になり、日本の文化力が突出しているそうだ。

 この文化力を指標に新しい国力を提唱した米国人ジャーナリスト、ダグラス・マッグレイ氏を招いたシンポジウムが先日、大阪国際会議場で開かれた。経済が低迷し「失われた10年」といわれている間、世界的に広がったスシ、ポケモン、セーラームーンをめぐって熱っぽく語られた。ちょうど浮世絵の価値を逆輸入で知らされたように、海外の目で日化を見つめ直すいい機会でもあった。

 欧州にある日本貿易振興機構(ジェトロ)に勤める友人からもこんなメールが届いた。

 「ナショナル・クールは文化的な概念のようだけど、日本の生活スタイルやそれを支える品質管理、美的感覚なども含めたものに広げて、PRしたい。これまで日本は閉鎖的だとか、高コストだと英米系マスコミに否定的に喧伝(けんでん)されているが、ジャパニーズ・クールは長い目で国益にかかわる問題ですよ」

 21世紀の世界では軍事力、生産力などのハード・パワーから知力、文化力、情報力などのソフト・パワーが重視される時代へ移りつつある。そんな中でナショナル・クールは国のイメージを形成するブランドになる。

 だが、海外で「日本はクール」とほめられて、どれだけの日本人が日化を語れるだろうか。素晴らしいものをもっていても、その価値を認識し、説明できなければ、どうしようもない。ましてその評価を外国に任せるだけでは、自らの芸術や文化を育てることもできない。

 クールという見方は、国力にとどまらず、「クール関西」「クール・ローカル」と地域力にも広げられる。自らが暮らしている地域文化の魅力、豊かさとは何なのか、問い直すきっかけになるはずだ。

 「クール・ジャパン」から「クール・ローカル」へ。自らの歴史と伝統を探りながら地域の文化を再評価し、それを核に新たな地域づくりを進めたい。

 

2003年8月2日土曜日

西論風発:教育委員会改革 活性化の道筋を探ろう

 〇掲載年月日 2003年08月02日 

西論風発:教育委員会改革 活性化の道筋を探ろう=池田知隆・論説委員 

 

 「教育委員会はあまりにも形式化している」と埼玉県志木市が、教育委員会を廃止する「地方自治解放特区」を政府の構造改革特区推進室に提案した。教育委員会の設置を義務付けている地方自治法の運用を変えるように求めている。現実には教育委員会の廃止がすんなりと認められそうもないが、教育委員会を活性化する道筋を探る時がきているのも確かだ。

 教育委員会は、教育を政治と切り離して中立性を保ちながら、住民の意思を反映させるために自治体ごとの設置が定められている。1948年の制度発足当初、住民が委員を選ぶ公選制だったが、56年に任命制に変わった。

 現在、月1回程度開かれている各地の委員会では、委員は感想を述べるものの、教育長が事実上、物事を判断、実行している。そのような教育委員会を活性化するために東京都中野区が81年、住民投票によって実質的に委員を選ぶ準公選制を実施した。だが、住民の関心が次第に薄れ、94年に廃止が決まった。

 いっそのこと、委員会権限をて、教育行政の効率化を図ろうとの動きも出てきた。島根県出雲市では01年4月、学校教育以外の文化やスポーツ分野を市長部局に移管し、教育委員会の役割を学校教育の分野に特化した。だが、出雲市が合併協議を進めている隣接市町村の反対で、合併後の新市ではその出雲方式は採用されない。

 全国の市長有志でつくる「提言・実践市長会」(会長、石田芳弘・愛知県犬山市長)は、教育委員会制度の廃止や市町村立学校の教員人事権の市町村移管を盛り込んだ改革を提言した。

 それに呼応した志木市は、教育委員会の廃止理由に「委員会は合議制のために、決定の責任の所在が不明確だ。教育問題への対応も迅速にできない」ことをあげた。委員会権限は教育長に委ね、教育長への諮問機関として審議会を設けるという。

 こうした動きを文部科学省は「政治的中立性が失われる」と警戒するが、そのような名目で教育の中央統制が強化、維持されてきたのも事実だ。学校の荒廃などの責任の一端は、文科省が県教委、市教委、校長会に指示を下ろす画一的な行政システムにある。教育の偏向については、積極的な情報公開などで是正していくことも可能だ。

 地方分権の時代に、各地域の独自性を生かした教育委員会の運営方法を検討してもいいではないか。半世紀にわたって「形式化」が指摘されてきた教育委員会のあり方を見直さなければならない。

2003年6月21日土曜日

西論風発:辻元講師問題 大学は説明責任を怠るな

 〇掲載年月日 2003年06月21日 

 西論風発:辻元講師問題 大学は説明責任を怠るな=池田知隆・論説委員 

  

  大阪市立大は、社会人向け大学院「創造都市研究科」のゲストスピーカーとして一度内定した辻元清美・元衆院議員の起用を見送った。学内で約半年間、論議を重ねて「結論が出せない」というのだ。当初、「学問の自由」にかかわる問題と受け止めていながら、「時間切れ」で棚上げにするのは、あまりにも無責任な決着ではないか。

 同研究科は、都市を活性化する多彩な人材を養成するために今年4月に開設された。社会で実際に直面する難題について幅広い視野から学ぼうと現在、第1期生166人が学んでいる。

 辻元さんを招いたのは、NPO(非営利組織)などの社会的リーダーを育成する「都市共生社会研究分野」の担当者だ。ピースボートを設立したり、NPO法の成立に深くかかわった経験や、現場サイドの具体的な課題などを提示してもらい、論議するためだ。ゲストスピーカーとして6月24日に1回、事例報告と討論を依頼した。

 ところが、昨年11月にそのことが報じられるや、「(秘書給与流用の)疑惑のある人物をなぜ大学に呼ぶのか」と市議会で自民党議員が質問し、大学にも抗議電話があった。

 大学は、「学問の自由」の問題もあり、特別委員会などで検討してきた。だが、「結論がでるまで辻元氏の招聘(しょうへい)は行わない」と決め、結局、その結論を先送りにした。

 先日の「西論風発」(3月1日付)で指摘したように、憲法第23条の「学問の自由」は、大学だけでなく、その構成員にも保証されている。担当分野の研究者が依頼した講師に対して、大学機関がそれを取り消すには明確な根拠が必要なはずだ。なぜ委員会としての見解を示せないのか、納得できない。

 昨年末の臨時評議会では、辻元さんを招くことに法学部教授たちが率先して消極的意たという。来春開設の「ロースクール」(法科大学院)に向けて、市議会側の機嫌を損ねたくないとの打算が働いた、との見方も学内にある。

 そうだとすれば、実に寂しい話ではないか。学生は大学教育の消費者で、教員も教育サービス産業従業員となり、今や「学問の自由」を語る時代ではないのだろうか。

 同研究科が、都市活性化に向けた知的拠点であるならば、社会への説明責任を積極的に果たさなくてはならない。「時間切れで棚上げ」は現実の経済活動ではまず許されないことだ。

 大学は、多くの失敗の経験から学ぶために、多様な人に広く門を開くべきだと改めて思う。

2003年3月30日日曜日

西論風発:民間人校長 学校をのびやかな環境に

 〇掲載年月日 2003年03月30日 

 西論風発:民間人校長 学校をのびやかな環境に=池田知隆・論説委員 

  

  「学校に新風を」と、商社、マスコミなど多彩な分野から選ばれた民間人校長が急増している。4月の新学期には21都道府県52人になる。学力低下や学級崩壊が叫ばれる中で、閉塞(へいそく)感に覆われた学校に大きな風穴を開け、新しい息吹をどんどん吹き込んでほしい。

 「能力のない者が校長になり、たくさんの方に迷惑をかけ、申し訳ない」

 そんなメモを残して広島県尾道市の小学校長が先日、自殺した。元銀行マンだったその民間人校長の死は痛ましく、極めて残念な出来事だ。

 「学校職を選んだのは間違いだった」「40年前の小学校のイメージで着任したが、理想と現実に落差があった」

 死後、伝えられた校長の言葉の数々に胸を突かれる思いがする。民間人校長の制度を率先して実施してきた広島県教育委員会は、校長の死の背景について徹底的に調査中だという。民間の発想で何を変えることができ、何ができないのか。支援体制をめぐる行政自らの責任も含めた説明が求められる。

 学校運営における校長のリーダーシップの不在が指摘されて久しい。民間人校長は、外部の視点から学校の大胆な経営改革を期待されがちだ。

 だが、学校は「教育工場」ではない。教育の素人にいきなり現場の指揮権が与えられても、できることは自(おの)ずと限られる。トップダウン方式で生産性をあげるような経営手法を強引に持ち込んでも、教員たちは動かない。実際に教員との間で深刻なトラブルが生じている地域もある。

 では、民間人校長に何ができるのか。今春、商社マンから民間人校長になる友人はこう語っていた。「それまでの職場の成功体験を学校で再現しようにも通用しない。むしろさまざまな事態に向き合ったとき、きちんとした“見識”を示せるかどうか。それが勝負じゃないかな」

 民間人校長には、密室に陥りがちな学校の中に、社会人としての見識を吹き込む役割がある。地域の学校をどのようにしたいのか。教員、父母に問いかけ、率直に語り合える場をつくってほしい。経営能力よりもまずは見識が必要だ。

 亡くなった校長は、自らの小学校時代と重ねて学校づくりの夢を抱き、現実に裏切られた。40年の間に学校はいつしか窮屈な世界になってはいないか。

 そうであれば、今、最も大切なのは、学校の自律性をいかにはぐくむかではないだろうか。学校改革の原点は、何でも語り合える「のびやかな」環境の再生にある。

 

2003年3月1日土曜日

西論風発:辻元講師問題 多様な人に門を開こう

 


〇掲載年月日 2003年03月01日 

 西論風発:辻元講師問題 多様な人に門を開こう=論説委員・池田知隆 

  

  4月に開設される大阪市立大の社会人大学院「創造都市研究科」が、秘書給与問題で衆院議員を辞職した辻元清美氏の講師起用の内定問題で揺れている。

 同研究科は先日、この問題について初会合を開いたが、結論は出なかった。社会人大学院は、社会で実際に直面した難題を広い視野から解決を探る場でもあるはずだ。その設立理念がさっそく問いかけられた形だ。

 辻元氏を起用予定の科目は、都市政策専攻の前期「ワークショップ」。客船で世界を回り国際交流を行った「ピースボート」の運営や、特定非営利活動(NPO)促進法成立に向けた活動を語ってもらうのが狙いだ。

 ところが、その内定が報じられるや、「疑惑のある人物をなぜ呼ぶのか」と市議会の自民党議員が質問し、大学にも抗議電話があった。公立大として議会の意向を無視できないのは当然だが、「学問の自由」の原則を抜きに大学は成り立たない。

 日本国憲法第23条の「学問の自由」は、大学だけでなく、その構成員にも保障されている。いかなる教材を用い、いかなる学説を講義するかは、大学の研究者の自由な判断にゆだねられる。担当分野の研究者が依頼し、いったん内定した講師に対して大学機関がそれを取り消すには明確な根拠が必要だ。

 もちろん法律論を駆使し、ゲスト講師の適格性を厳密に論議することも可能だろう。だが、何よりも大切なことは、そこから何を学ぶかではないのか。

 大阪にはかつて、町人たちが作った学問所「懐徳堂」があった。それが創設されたのは享保9(1724)年で、経済、文化が爛熟(らんじゅく)した元禄期から遠のき、不況のさなかだ。「書生の交りは、貴賎貧富を論ぜず、同輩と為すべき事」と自由な精神をうたい、ここから山片蟠桃、富永仲基ら優れた学者が生まれ、旺盛な企業家精神が育った。

 その懐徳堂は幕末維新の動乱で明治2(1869)年、歴史を閉じた。やがて大阪では、学問は空理空論で、実業と結びつかないとばかりに軽視されがちな風土がいつしか形成され、都心からも大学が消えた。

 だが、都市の活性化の源泉として知的拠点が必要だ。今、大阪の都心にも社会人大学院が集まり始めている。創造都市研究科は、その知的ネットワークの柱になってほしい。そのためにもこの問題をうやむやにせず、説明責任を果たすべきだ。

 社会人大学院は、多く失敗の経験をもとに率直に論議する場であってもいい。真理探究の場として、多様な人に広く門を開くべきではないかと思う。