〇掲載年月日 2002年12月28日
西論風発:田中さん人気 「癒やし系」と言わないで=池田知隆・論説委員
「サカナ、サカナ、サカナ……」と、師走のスーパーの魚売り場で「おさかな天国」の歌がにぎやかに流れている。2002年、巷(ちまた)では「タナカ、タナカ、タナカ……」とばかりに「田中さんの風」が吹き続けた。
小泉内閣の目になった田中真紀子旋風に始まり、公共事業依存からの脱却を訴えた長野県の田中康夫知事、日朝国交正常化の道を開いた外務省の田中均・外務審議官と続く。そして台風にまでなったのが、ノーベル化学賞を受賞した無名のサラリーマン、田中耕一さんだ。
長引く不況をよそに今年は、政治、経済、外交をめぐる混乱で世の中が過熱気味だった。その後半にヒーローに躍り出た田中さんは、社会の裏方ともいえる地味な技術者だった。世界的な業績は別にして、その謙虚で、誠実な人柄は多くの日本人にある種の安らぎを感じさせ、「癒やし系」ともいわれた。
この人気の秘密は何なのか。横浜の川に出没しているアゴヒゲアザラシ「タマちゃん」のように突然、降ってわいたような人々の熱い注目にも、自分を見失うことはない。あくまでも自分のペースを守ろうとする姿勢が共感を呼んでいるようだ。
テレビの画面では、目立ったらいい、とばかりに文化人やタレントが大声をあげている。深刻な問題も、さらりとちゃかし軽いノリで流されがちだ。そんな情報の洪水にいらだっていた人たちも、田中さんの素朴な言動にひかれたのだろう。
地道に働くこと、職場の環境に感謝し、同僚を大切にすること、創意工夫をすること。いつの世も、そこから社会への信頼が生まれる。それがいつしか忘れ去られようとしていないか、とさえ気づかせてくれた。
先行き不透明な日本社会だが、地道にすがすがしく生きている人はたくさんいる。丹念に歩き、目をこらして見、耳を澄ませば、そんな人とすぐに出会えるはずだ。だけど、そのような真摯(しんし)な生き方や人情味あふれる失敗談を「癒やし系」と揶揄(やゆ)してしまう風潮は、どこかおかしい。
「癒やし」には、心の苦しみを解消し、人間をまるごと健やかな状態にするという響きがある。その一方、自らは何も働きかけずに慰めてもらい、消費だけしようという感じもある。田中さんを「癒やし系」と言ってのけることで、何か大切なものを見失ってはいないだろうか。
しかめっ面して言う気はさらさらないが、田中さんを「癒やし系」と見なすのはやめよう。年越しを迎え今一度、田中さんからもらった元気の素(もと)を見つめ、暮らしを考える糧にしたい。