〇上海にて(1998年01月05日)
大みそかの夜、上海の和平飯店のジャズバーで過ごした。舞台や映画でヒットした「上海バンスキング」で流れていた1930年代のジャズ。その残り香に浸りたかったからだ。
当時、上海はビザなしで入れる唯一の国際都市だった。イギリス人はテニスコートと競馬場、フランス人は美術館、ドイツ人はビアホール、アメリカ人はダンスホールを持ち込んだ。日本人は無粋な「銃剣」を携えて入り、戦争の泥沼に足をとられた。
それから60年余。上海は再び活気に沸き、バーは日本の若いカップルや欧米の観光客で満席だった。外は雨。中国ではもっぱら旧正月をにぎやかに祝い、街からは早々と人影が消えた。
翌元日付現地紙のトップでは、江沢民主席が「あらゆる面で中国は希望に満ちている」と笑っていた。かつてアメリカの脅威を「張り子の虎(とら)」と言っていた中国が、逆に脅威と見られる時代だ。が、帰国後、日本の元日各紙に驚いた。経済混乱のアジアや世界への関心は激減し、代わりに日本人の絆(きずな)や家族をめぐる記事が目立った。
日本はどこまで内向化していくのか。上海のジャズに浮かれたせいか、ちょっと気になった。