〇透明な顔(1997年07月22日)
一人の少年の顔写真の報道をめぐって日本の社会が揺れている。
ジャーナリストとして「透明な存在」という少年の実像に迫るのは当然だが、それをどう伝えるかは悩ましい問題だ。人間の顔についてこんな小話がある。
「どんな人間の性格をもその顔から見てとれる」。そう自慢していた男が哲人、ソクラテスに会った。彼がソクラテスからも悪徳を読み取ったとき、周囲の者は一笑に付した。その悪徳のただの一つもソクラテスに認めることができた者はいなかったからだ。
だが、ソクラテスだけは笑いはしなかった。そして言った。「自分は確かにそのようないろいろな悪徳を背負ってこの世に生まれた。しかし、理性の助けによってそれを免れたのだ」と。
人間の内なる深淵(しんえん)。学生のころ読んだスイスの哲学者、マックス・ピカートは「戦慄(せんりつ)なしに一人の人間の顔を眺めることはできない。他人を眺めるためにじっくりと時間を費やすことは、人間なるものに対して敬意を表することなのだ」(「人間とその顔」)と書いていた。容疑の少年は社会的に「透明な顔」の存在だが、私たち自身も人間の顔の深遠さを見る眼力を失っているかもしれない。