〇宴のあとで(1996年10月12日)
「まるで梁山泊だったな」。次々と駆けつけてきた顔を見るたびにそう思えてくる。23年前、記者としてふりだした阪神支局。その当時の面々と先日、宝塚の保養所で一夜を共にした。
そのころは石油ショックで日本の高度経済成長が終わり、大きな転換期だった。道路公害、大阪空港騒音訴訟、甲山事件……を抱え、支局はまるで“時代のるつぼ”。毎晩、支局前の国道をチンチン電車が走り出す夜明けまで酒盛りが続き、議論にくれた熱っぽい光景がいまも鮮やかに目に浮かぶ。
論説委員、代表室長、社会部長、大学教授として活躍中の元支局員に「立派になった」と顔をほころばせる元支局長、Jさん。酒豪の元デスク、Yさんは、よく酒につきあってくれた記者ほど体調を崩し、顔を出せなかったことを知り、少し寂しげだった。
時は流れ、私もいつしか当時の支局長と同じ年齢に。多くの夢、宿題は放置したままだ。宴のあと、一人残って酒を飲み続けたYさんはつぶやいた。「新聞記者は結局、社会の上っ面をすくっているだけやないか」。一線を離れて新聞と現実の裂け目がよく見えるようだ。その胸にくすぶる“記者魂”にギクリとさせられた。