〇別れ道(1996年04月25日)
「元気してる? 写真集を送るから見てね」。写真家、太田順一氏のやさしい声が電話口に響く。大阪に暮らす沖縄の人たちを撮った「大阪ウチナーンチュ」(ブレーンセンター刊)がまもなく届き、それをめくるうちに、27年前の光景がよみがえってきた。
1969年4月。当時、「ヨン・ニッパー」と呼んでいた「4・28沖縄デー」を数日後に控えたころだった。大学入学直後、彼の下宿でぼくは級友に沖縄で見た基地の姿を熱っぽく語った。向学心に燃え、語学学校にも通っていた彼に別れ際、「いま、そんな時期か!?」と言ったような記憶がある。
それから10年後。大阪の警察署内で取材中、ばったり出会った。「あれっきり姿を消したので、心配していたよ」と彼。中退したと思われていたぼくが卒業して新聞記者になっていたから、目を丸くしていた。逆に彼のほうが中退し、カメラマンになっていた。
よく酒を飲み交わすが、あの別れ際のぼくの言葉に、彼はいつも苦笑いするだけだ。人々の暮らしに丁寧に向き合う彼の仕事ぶりには教えられる。「おまえはただジタバタしてきただけではないか」。心の奥から憎らしい声が聞こえてきた。ああ。