〇掲載年月日 2005年01月09日
西論風発:大阪市公金乱用 懐徳堂精神を思い起こせ=論説委員・池田知隆
カラ残業やヤミ退職金支給など大阪市の職員への公金乱用が際限なく明るみに出ている。長引く不況で経済的な落ち込みが目立つ大阪で、市職員がこっそりと公金を食いつぶしている実態にあきれ、怒りのもっていき場が見当たらないほどだ。
大阪は、どうしてこんなに情けない都市になったのか。他方、鳥取県のように県職員の給与カット分を教育に投資している地域もある。自治体職員が身銭を切って自立的な地域社会を模索しているのに比べると、大阪市の姿はあまりにもい。
東京一極集中が進む中で大阪はここ数十年、都市経営をめぐり右往左往してきた。大阪の「敵」は何も東京ではなく、大阪それ自身の中にある。その構造的な欠陥をしっかりと見るには、過去の歴史をたどるしかない。
大阪にはかつて、町人自らが倫理的・道徳的素養を高めるため、金を出しあい、英知を養った歴史がある。1724(享保9)年に創設された懐徳堂がそれだ。経済、文化が爛熟(らんじゅく)した元禄期から遠のき、不況のさなかのことだった。武家・官僚社会の江戸とは異なり、町人が自由に学問を愛し、知恵を求め、そこから多彩な人材が育った。
だが、幕末維新の動乱で1869(明治2)年にその歴史を閉じる。やがて大阪では、学問は空理空論で、実業には結びつかないとばかりに軽視されがちになり、都心から知的拠点が消えた。そんな実利中心のツケが回り、市の中枢部をおのずとマヒさせてきたのかもしれない。
大阪市はその行政実態のを始めた。まずはそれをガラス張りにして徹底して膿(うみ)を出すことから始めなくてはならない。だが、ほころびを繕うだけでも困る。これから大阪をどうするのか。その目標や方法論、市民からの信頼がなければ、未来もない。その結果、大阪府との合併によってスリム化させる選択があってもいい。
懐徳堂が生まれた地にふさわしく、市民の自立性と市民的倫理に立った地域文化をいかに実現していくのか。歴史を思い起こし、市民の思いと志を結集した大阪を築く好機にしたい。