〇掲載年月日 2001年10月17日
西論風発:宗教教育 異文化理解に不可欠=池田知隆・論説委員
「多くの若者が喜んで死ぬ用意がある」。アフガニスタンへの連日の空爆に対し、イスラム神学生を中核とするタリバン側はこう徹底抗戦を叫んでいる。天国に行くための「聖戦」で、死(殉教)を望んで戦う貧しい若者たち。現代の最新兵器に挑んでいくその姿が痛々しい。
正義と悪が、信仰をめぐる内と外で逆転する宗教の恐ろしさ。オウム真理教によるサリン事件の悪夢を想起させ、宗教などに近寄るものではない、との思いが日本人の間に広がりそうだ。だが、宗教への理解を避けて現代世界を生きることはできない。
経済が社会の欲望を増進するアクセルとすれば、宗教はブレーキ役を果たす。市場原理のはてに弱肉強食の修羅の巷(ちまた)になるとき、人の心の熱を冷ますのも宗教の力だ。
そんな世界の主要な宗教について日本人はこれまで無理解なまま過ごしてきた。
かつて日本人にも神仏とともに生きた長い伝統があった。だが、戦前の国家神道の反省から戦後、経済復興に熱中した。宗教は今、「苦しいときの神頼み」と言われるような「貧・病・争」に悩む人たちだけのものではなく、豊かな社会に生きる支えとして見直されてきている。しかし、依然として多くの日本人が「無宗教」を標ぼうし、宗教との距離を保とうとしている。
中央教育審議会は近く公表する「教養教育の在り方に関する」最終報告の中に、「宗教理解が欠かせない」と盛り込む予定だ。多くの人びとが国々を行き交う国際化の時代に現代人の教養として、宗教理解が不可欠、との判断だ。その考えには賛成だ。
教育基本法では国公立学校の「特定の宗教のための宗教教育や宗教的活動」を禁じている。それは当然のことだが、宗教一般についての教育まで学校は及び腰になってきた。一方で、「風の谷のナウシカ」から「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」に連なる宮崎駿作品のように、破滅の危機にひんした社会に生きる人間を描いた大衆娯楽文化が人気を博している。それはマスメディアによる「宗教教養教育」といえるが、それだけではすまされない時代だ。
学校で実際、宗教をどこまで教えられるか、戸惑いも大きいだろう。森喜朗前首相の「神の国」発言など政治の動きも気になる。民族と宗教をめぐって激動する世界の中でどのように生きていくのか。異文化理解を促し、宗教と社会生活のかかわりをきちんと考えていかなくてはならない。子供たちが宗教への理解を深めるだけではなく、日本人自らの宗教観も問われている。