掲載年月日 2001年12月08日
西論風発:付属池田小事件から半年 惨事に向き合う姿勢を=池田知隆・論説委員
「教えることは希望を語ること。学ぶとは、誠実を胸に刻むこと」
大阪教育大付属池田小学校で起きた児童殺傷事件から半年になる。この事件から何を学ぶべきかと思ったときに、フランスの作家、アラゴンの詩の一節が浮かんできた。
悲惨な現場に遭遇した児童や教師たちにとって、つらく、悲しく、耐えがたい日々であっただろう。そのような厳しい体験を共有することは難しいが、私たちはこの事件を深く胸に刻みたい。
児童8人が殺害された教室で、いったい授業を再開できるだろうか。事件後、学校では「安全」の確保とともに、教室をどうするのかが大きな課題となった。児童の心の傷を配慮して「校内風景を一新しないと心のケアにならない」と、校舎のほか体育館、プールの施設を含む全面建て替えの声が一部の父母から出た。文部科学省も校舎の全面改築方針を打ち出した。
確かに子供たちに「悪夢」を呼び起こしたくないとの思いは理解できる。だが、「校舎をそっくり改築する」発想に驚いた。そう簡単に学校の風景をリセットしていいものなのか。たとえ事件が起きた建物をきれいに建て替えても、事件そのものの記憶が消えてしまうわけではない。
同大の校舎改築検討委員会は、父母の意見を聞きながら、協議を重ねてきた。その結果、惨事が起きた南校舎1階部分を慰霊のためのメモリアルホールや「語らいの場」として整備、それに相当する広さを増築することになりそうだ。妥当な判断だろう。学校にとって今後も事件と向き合うのは過酷だが、その経験から学ぶものもきっとあるはずだ。
原爆ドームは、惨事を忘れないために世界遺産として残している。悲惨なこと、おぞましい出来事は、戦争を含めて歴史の中でいやおうなく起こるものだ。必死に忘れ去ることよりも、その跡をとどめていくことのほうが次の世代に伝えていく力は強い。
少年をめぐる凶悪事件、いじめ、虐待が相次ぎ、「心の教育」の必要性が叫ばれている。青少年の健全育成の名の下で、図書館における不健全図書(有害図書)の指定理由に「自殺」を加えようという社会的な動きがあるという。死につながるものすべてを子供たちから遠ざけようという風潮には賛成できない。
教科書の内容を教えることだけが教育ではない。目の前で起きた事件の処理そのものも、生きた教材である。その意味からも、池田小の「事件に正面から向き合っていこう」という誠実な姿勢を、心に深く受け止めていきたい。